吉見医院

私が尊敬する山本五十六が生きている間は特攻はさせないと言っていた特攻基地が太平洋戦争末期には台湾を含め20か所以上に、
鹿児島県には3つの特攻基地があった。有名な知覧、自衛隊があり資料館がある鹿屋、そして万世だ。
今日の日本があるのは若き青春をかけた彼等があるから、機会をみて感謝をし続けたい。
小学校、中学校、高校、大学、企業で友達等と。

法政大学大学 坂本光司ゼミの合宿、企業視察で何度か知覧基地を訪れている。
先週は南さつま市の吉見医院を視察したが、近くの万世基地を訪れ感謝をした。1階の展示は写真撮影ができる。

体調がおかしかったら吉見医院がある。
スタッフの方と院長、若先生と話せば皆さんから優しさが伝わってくる。
若先生は呼吸器と禁煙には強い。
星空と空気が美味しい。
小さな町だが100歳以上が今年には10人誕生する。

近くには料理旅館がある。本物の鹿児島黒豚のしゃぶしゃぶ、本場の焼酎も美味しい。

砂丘もある。

以下、万世基地のネットから

日本三大砂丘の吹上浜には、昭和18年夏から19年末にかけて建設された陸軍最後の特攻基地「万世飛行場」がありました。この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでした。17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が”祖国のため”を合言葉に、沖縄の空に飛び立っています。
当時の遺品や関係資料を、特攻隊員がの最後の地となったこの地に展示し、これらの遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念するように建てられたのが当祈念館です。

館内には吹上浜沖から引き揚げられた、日本にただ一機の「零式三座水上偵察機」や死を間近に控えた隊員たちが肉親、愛する人達へ宛てた最後のメッセージ、”至純の心”を綴った「血書」、遺品、遺書などを多数展示しています。
館の外観は、パイロットが生まれて初めて飛んだ練習機「赤とんぼ」の服葉型を模し、大屋根は平和を祈る合掌をシンボル化しイメージした大空に憧れの「複葉合掌型」の形をしています。

知野、日本三大砂丘 は九十九里浜(千葉県)と 鳥取大砂丘(鳥取県) 、あとは吹上大砂丘(鹿児島県)か 南遠大砂丘(中田島砂丘)(静岡県)です。

吉見医院さんについては火曜日に紹介する。

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