東日本大震災・6年

野口具秋です。

駅舎の写真をレポーターが指差している。記憶が蘇って来た。
立ち入りが禁止されていた平屋赤根屋の富岡町の駅舎だ。
6年ぶりに立ち入りが解禁される浜通り富岡町だ。
小さな駅前に担当者が迎えに来ていた。
JR常磐線の再開通に合わせ、新駅舎は600m移動。
駅舎もレールも工事中だ。駐車場だけが出来上っていて、
町らしいものは何もない。町の復興はようやく途につく。

病院ランキングで必ず上位が約束されている
諏訪総合病院の名誉院長鎌田實氏。
30代で潰れかけたこの病院を、日本を代表する病院にした。
03.11以降は、放射能や精神面で支援。
被災住民に寄り添っていることは有名だ。
プレハブ仮設住宅に住む避難男性は、女性に比べ駄目で、引きこもり、
酒やパチンコに明け暮れるのが多い。
演歌歌手・神野美加とともに訪問。講話の後は1時間歌謡ショー。
爺たちは興奮して立ち上がる。大拍手を送るのだ。

2月下旬、伊達郡川俣町の齋栄織物に行ったのは、
被災後ホットスポットとして取り上げられた。
ここから小1時間山を抜けると、当時の原町市への街道なのだ。
全ての関係者は被災の風化を恐れる。
僕は阪神・淡路大震災当時、東京にいて無関心だった。
今なお恥じている。
何度も通った浜通り、下の息子は2年前、南相馬の娘さんを娶とった。
風化させない。僅かでも東北のモノを優先に買い続けるのだ。

震災6年が過ぎ、著名なノンフィクション作家が現地に入り、
残された家族の霊体験をまとめた本を出版。幽霊のことではない。
家族・親しい者との霊体験だ。
行くえ知らずの携帯に電話をすると、受信音が鳴る。
亡くなった妻や子供がTVの前に座って観ている…。
小泉八雲の小説ではない。
ワイフと震災後松島を訪れた際、波間から「苦しい…助けて…」
の声が聞こえるのだと。

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