カルロスゴーンの評価を考える

カルロスゴーンの逮捕により、世界中に衝撃が走った。
1999年6月、ルノーの上席副社長の職にあったゴーンが、ルノーにおけるポジションを維持しつつ、日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任。危機的な状況にあった当時、日産自動車を立て直しを行い、一躍時の人になってから、20年の月日が経っての逮捕劇だった。

当時、経営人財育成の研修の中で、私自身も日産自動車とトヨタ自動車、ホンダの自動車三社の財務諸表を、パターン分析で視覚化して対応策を検討するという講座を行っていた。

上記が、2000年3月時点での自動車3社のバランスシートである。
そして、カルロスゴーンの日産リバイバルプランで実行した内容は下記である。

当時の日産自動車の総資産を見ると、トヨタ・日産と言われるが、実際は、トヨタには大きく水をあけられ、ホンダに近いバランスシートになっていた。
日産がホンダをベンチマークするなら資産で2兆円、コストで1兆円の改善をしなければならない
 3年間で20%、計1兆円のコスト削減
 2000年度に黒字化
 2002年度に負債半減
 国内生産力の30%削減
 年間生産台数を165万台にする
 工場閉鎖
 国内販売網の再編
 直営ディーラー数の20%削減
 系列営業所数の10%削減
 世界規模で14万8000人の従業員を2万1000人削減
 持ち合い株式の売却促進
 1145社の部品・資材購入メーカーを600社以下に  等々

日産の当時のバランスシートと、ゴーンが行った改革を見ると、まさに、「コストカッター」と言われるように、徹底的なリストラである。
しかし、なぜ、できたのか?それは、日産自動車に固定資産が多かったからだ。つまり、過去の固定資産で、有利子負債を返済しただけであり、新しい価値を生み出していない。

その後、日産自動車は、グローバルでの販売台数の成長させた。

しかし、このことは、トヨタ自動車も同様である。

ホンダも同様であり、決して、日本の自動車大手3社が伸びたのは、ある意味、国内需要が落ち込んでいく中、各社世界市場へ展開した結果である。
そして、世界市場での成長を支えたのは、まさに、日本の技術力がその根底にあると思う。

つまり、カルロスゴーンは、極論すれば、前述のように、しがらみの中で、日本人の経営者では改革できなかったリストラを断行したことだけかもしれない。

そして、座間工場の閉鎖をはじめ、雇用や地域経済に負の影響を与えたことを考えると、当時のメディアをはじめ、持ち上げ過ぎだったのではないか。

当時、研修の中で、日産自動車のリバイバルプランについて、固定資産を売っただけ・・・とコメントして、今後、カルロスゴーンの真価が問われると評した。

その後、カルロスゴーンが行った電気自動車へのシフトなどについては、情報不足のため評価できないが、いずれにしても、最後の結末がニュースで報道されていることであるとすれば、メディアの当時の持ち上げ振りは何だったのかと考えさせられる。

さらに、いつも思うことであるが、改革を進めた経営者の功罪で、功のところばかり取り上げられるが、もっと、罪のところもしっかり取り上げるべきではないか・・

当時、私自身も当時、時の人で絶賛されていたカルロスゴーン本を買って読んだが、財務諸表を分析して、コメントした内容を思い出した。

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