盛高鍛冶刃物株式会社【No38いい会社視察2014/2/23】

今回は2014年2月に坂本ゼミ春合宿先のひとつとして訪問した『盛高鍛冶刃物株式会社』さんをご紹介致します。700年以上の歴史をもち、この10数年間、海外への丁寧な対応が同社に光をあてたと言って良い事例だと思います。海外評価がひとつのきっかけとなり国内でも高評価を受ける製品は1年以上待って手にすることができる日本が誇る逸品です。

http://moritakahamono.ocnk.net/

●概要
名称 盛高鍛冶刃物株式会社
設立・起業 鎌倉時代永仁頃(1293年)
法人化 2010年7月1日
所在地 〒866-0805 熊本県八代市宮地町434
代表者 代表取締役 盛高 経博


●盛高家の沿革
盛高家は1293年鎌倉時代に福岡県太宰府にある宝満山の刀工・金剛兵衛源盛高を祖師として誕生し、1632年に現在の熊本県八代市に移ります。九州三大祭である妙見宮大祭の刀工となり現在27代700年以上の歴史があります。
刀工は、産地などによっては鍛冶師、研師と分業している場合もありますが、盛高家では一貫製造にこだわっています。幕末期に、“刀工で生計を立てるべからず”の家訓を定めてからは、家庭、園芸、農林用の一般刃物製造を生業とし現在に至ります。

●現社長の盛高 経博氏の経歴
ご訪問では27代目の社長;経博氏と副社長であり海外担当の奥様にお話を伺うことができました。
経博氏は高校卒業後自衛隊に入隊。田舎育ちの社長は“都会へのあこがれがあった”と言います。自衛隊は親の仕送りが不要で、公務員としてすぐに給与が入り、家業を継ぐ前にはうってつけだったと考えたそうです。
当初ご両親とは3,4年間の約束でしたが延期を繰り返し7年目を迎えます。さらに延期を親に伝えようと2,3年ぶりに実家に帰ったところ、親から継ぐよう言われ25歳で自衛隊を辞め後継ぎとなりました。
当初は修行の身。鍛冶の技術はないために給与もなく鍛錬の日々。3年たったある日、貯金もなくなりつつあったために給与を欲しいと要望したところ、本業では借金があり厳しい状態だということを始めて知ります。

父が継いだ頃は日本刀の需要があり、作れば今よりも高い金額で飛ぶように売れた時代でしたが、その後刃物業界はステンレスなどの便利で安価な商品の影響もあって低迷します。“経営という考えがなかった”という家業は厳しい状況に陥っていました。
しかし、経博氏としては逆に経営のやり方次第で将来の可能性があると感じました。

●家業を継いだ頃
まずは販路拡大のためにホームページ作成、県の催事事業に登録、百貨店に売り込みを開始。少しずつ効果が表れていきます。
しかし当時社長自らが販路拡大の活動をすることは、作る人が減ることを意味しました。作る職人さんは一人だけ。そこで社長の弟が職人として加わることになります。一人前になるには10年かかりますが、信頼できる職人さんを増やすことは急務でした。

時代はステンレス包丁が主流。多くの鍛冶屋は、効率的な生産方法を余儀なくされます。事業転換や廃業もあります。
そんな中、盛高社長は手打ちで作る子品質な鋼(はがね)マーケットは必ずあると考えました。ニッチ市場だとしても同社の規模であれば生き残ることができるのではないかと。

一般的には包丁を作る場合、あらかじめ鉄の両面に鋼(はがね)をサンドイッチ状態にした金属を仕入れて包丁を作ります。しかし同社では鉄と鋼(はがね)を別々に仕入れ、鍛冶技術で1本1本手作りをして、切れ味を重視した最高品質を製造します。
また日本では料理人には片刃が一般的ですが同社は両刃にこだわっています。両刃は左利きの多い海外では一般的ですし、日本でも一般家庭においては両刃が使いやすいと考えました。

●法人化前後の転機
家業を継いで約10年経った2005年、英語が得意だった現社長の奥様が海外向けにホームページを英訳します。2007年にハワイ在住の愛好家の目にとまりホームページに海外販売の機能を加えます。ページ作りに加え決済や関税の知識を得て、たった1か月でホームページをリニューアル。その後海外からのお問合せや要望へのきめ細かい対応を行い少しずつ注文が増加しました。
2007年11月にはデンマークの刃物店と卸契約。カナダ、アメリカ、ロシア、ドイツ、スイス、オーストラリア等、現地刃物店への卸販売が拡大します。
2010年には法人化。
特に2011年アメリカのウォールストリートジャーナル紙に、コンテスト優勝シェフお勧め包丁5本の中の1本に選定されたことで大きな反響を呼びました。
現在では50か国以上に販売。同社では直売または現地の刃物店への卸販売に限ることで、職人直売スタイルを貫いています。
それまで約1か月だった納期は海外では7,8か月、国内では1年10か月待ちになりました。
納期がかかってしまう現状は心苦しい反面、無理に職人を増やす考えはなく、品質や売り方を評価してくれるお客様に丁寧な販売を優先します。

2010年8月同社発行の鍛冶屋通信第1号に、最近社長が読んだ本として「ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社」著;坂本光司先生 の記載がありました。
“掲載されていた会社は利益よりも奉仕を先に考え、社員を大切にし、お客様を幸せにすることを一生懸命に考えていた。心の片隅にでもこのような気持ちを持って仕事をしていきたい”と書かれていました。
会社は規模や売上ではなく、関係するすべての人々の幸せを追求することを目指す意識に共感を持ちました。これからも末永い同社の永続を願います。

***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(桝谷光洋)

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