No146記憶に残る経営者の言葉46 日本理化学工業(神奈川県川崎市;チョーク製造販売)大山泰弘会長(故人)

今回は2016年3月の「第6回日本でいちばん大切にしたい会社大賞」にて審査委員会特別賞を受賞された『日本理化学工業株式会社』さんから記憶に残る経営者;大山泰弘会長(故人)の言葉をご紹介致します。2013年と2014年に坂本ゼミの視察やプロジェクトとして訪問させていただきました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

1960年当時の日本理化学工業は東京都大田区にありました。すぐとなりに障がい者施設があり、その先生から“二人の生徒を雇用してほしい”という依頼が同社の歴史を変えたのです。

その先生は根気強く3度も訪ねて来られ、“就職できないとこの二人は一生施設で過ごすことになる”という言葉に、大山泰弘社長(当時)は“かわいそうだ”との同情から、“せめて働く経験だけでもさせてあげたい”との思いで2週間だけ受け入れます。

ところが2週間たった時、受け入れ部署にいた社員から、“二人がいなくなると困る、これからも雇ってほしい”と言われたのです。

大山会長はお二人の真面目な働きぶりを見ていたこともあり、社員として雇用することを決断します。

大山会長は当時を振り返り、“決して障がい者雇用に対して社会的な責務を意識したわけではなかった”といいます。始まりは同情や優しさからであったとしも、この決断が日本における障がい者雇用の歴史において重要だったとのちの歴史から学ぶことができます。

以来、日本理化学工業の職場には障がい者がずっと働き続けています。

2009年、同社は渋沢栄一賞を受賞しています。その年は個人2名と日本理化学工業1法人が受賞しました。大山泰弘会長としては2個人が多くの寄付金をしている中、なぜ同社が受賞できたのか事務局に聞いてみたところ、“障がい者が20~60歳までの40年間を施設で暮らす場合、一人につき2億円の費用がかかる。日本理化学工業はすでに50年以上にわたって障がい者を雇用し続けることで国の財政に大きく貢献している”というものだったそうです。

障がい者の働く環境に工夫を重ねた同社の歴史は、いつしかその存在自体に大きな重みを与えていたのです。

“一人でも多くの障がい者を雇用する会社になろう”大山会長の言葉を思い出します。

以前に投稿した記事は 日本理化学工業株式会社【No16いい会社視察2013/7/10,2014/5/30】 です。このブログ内を検索してご参照ください。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です