分かりづらい「平等」という言葉

平等という言葉ほど使う人の考え方によって全く違った意味になってしまうことが大きい言葉はないと思います。誰でも実力さえあれば、チャンスが与えられる、アメリカンドリームには誰でも参加できる、というような平等があります。一方で、一定の能力に欠ける場合でも、不利益を受けることなく対等な扱いを受けるべきであるという意味の平等もあります。

 法律では、アメリカンドリームには誰でも参加できるという考え方を「機会の平等」といい、誰でも不利益を受けることなく対等な扱いを受けるべきという考え方を「結果の平等」と言います。

 給与を成果主義だけにするというのは機会の平等に近い考え方です。一方で年功序列の基本給のみとし、成果のいかんにかかわらず同じ年齢は、皆平等にするというのは結果の平等に近い考え方です。

 新自由主義は機会の平等を徹底した考え方です。しかし、それでは格差や分断が起きてしまうのは今の世の中が実証しています。一方で、努力しても、実力があっても、一定以上の評価は受けられず、他の人と同じ給与だとテンションが下がってしまうということが起こります。

 良くも悪くも、機会の平等と結果の平等とのバランスをうまくとることが必要です。

 昨今、話題になっているベーシックインカム(例えば、国民全員に月10万円を政府が支給する)というような考え方は、努力した人は更に利益を得ることができる一方、様々な理由で同様の成果を出せなくても人として生きることのできる最低限の保障がされている、という考え方であり、機会の平等と結果の平等とのバランスを上手くとる例ではないかと思います。

 給与も基本給と能力給を上手く制度として導入している会社は多くあります。そのような会社は、このベーシックインカムと同じような考え方をしているのではないかと思ったりします。何事もどちらかに偏るのではなく、適切なバランスをとることが社会では求められているように思うのです。

 (学会 法務研究部会 常任理事 弁護士山田勝彦)

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