Giveの精神

アダム・グラント氏が書いた「GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代」という本があります。同氏は人間の思考と行動類型は「ギバー(与える人)」、「テイカー(受けとる人)」、「マッチャー(バランスをとる人)」の3つに分かれるといいます。「ギバー」は、「ギブ&ギブン」で見返りなど関係なしに、まず先に人に与える人、「テイカー」は、「テイク&テイクン」でひらすら自分から受け取る、極端に言えば奪い取る人、「マッチャー」はバランスシートをもっていて、自分と相手の利益・不利益を、そのつど紘平にバランスし、ギブとテイクの帳尻を合わせようとする人、というわけです。しかし、このように分類したからと言って、テイカーは一切ギブをしないかといえば、テイクという目的を達成するために(見返りを求めて)ギブをすることもあると言います。

 見返りを求めたり、バランスをとろうとして、つまり計算と下心があってギブをする、という発想は、都会の発想のように思います。

昔は(田舎では今でも残っているかもしれません)、山菜やキノコを採りに山に入ると、たくさん採ってきて、自分や家族の分以外は、周りの人に分け与え、野菜を作っても、できたものを収穫して周りの人に配り、もらった人は、それで料理を作れば、それをもってまた周りの人に配ったりという日常がそこにありました。この時、その人たちは、見返りをもとめているかというとそんなことはありません。何の見返りがなくとも、喜んで人のために自分のものを分けようとしていました。

文化人類学者の小川さやかさんは、「ただ誰かに贈り物をしたり、親切にしたりする時、相手のスペックを評価して関係を結んでいるわけではありません。相手の持つどんな力が将来自分に返ってくるかはわからない。返ってこないかもしれない。誰かに親切にする時により多くの見返りが得られる人を選んでいるわけではないのです。その人のどんなものが私に将来返ってくるかはわからないけれど、でもその誰かの一部と共に私は共生しているし、一部は誰かと共にある。そういう分人主義社会をかつての我々ももっていたのではないでしょうか。」

(「思考のコンパス ノーマルなき世界を生きるヒント」PHP出版、山口周著の対談「第4章タンザニア商人に学ぶ 制度や組織に頼らない生き方」)と言っています。テレワーク等が当たり前となり、人と人との関係が希薄なる今だからこそ、かつてのようなGiveの精神が大切だと思うのです。

 (学会 法務研究部会 常任理事 弁護士山田勝彦)