広島
野口具秋です。
坂本教授の講義を受けた後、私は東京駅に急いだ。
新幹線に飛び乗って広島に向かうのだ。
しかし予想に反してあっさりと東京駅に到着。
20分も寒いホームに立ち尽くすことになった。
年末押し詰まった日に長男のところで初めて子ができたからである。
広島は遠い。
4時間を要した。
40年振りに訪れた広島は全く未知の町となって
思い出も記憶も甦る景色はなかった。
ただ昭和30年代「三丁目の夕日」の部隊のごとく
路面電車が今も走り市民の思いが深い
平和通りに新たに敷設の話があるという。
駅から離れた本町通りから郊外に走る
モノレールは赤字に泣き、広島駅には当分延長されそうにもない
100万都市である。
この日は朝から雪模様で濡れた舗装道路に小雪が舞い、
瀬戸内海に面した市であるのに寒い街であることを知った。
長男と初孫に会いに向かう途中、見覚えのある建物に遭遇した。
旧日銀広島支店のビルである。
原爆の爆心地に近く、ピッカドン、一瞬にして影となり
永遠に原爆の悲惨さを後世に伝える石影が今は撤去、
原爆記念館に展示されていることを知った。
工事現場用の足場が組まれていて、
解体修復かと問うと展示用のためのものであると答える。
原爆投下64年目を迎える年明けなのである。
平和通りの直ぐ傍、平和公園も近いところである。
孫の顔を見るため暗くなってきた街を郊外の部屋に急ぐ。
自分の子供が生まれて来た時から36年が経過していた。
生後2週間の子はあまりにも小さく3キロしかない。
顔はこぶし大、手のひらは親指と人差し指で作る輪の大きさであった。
気持よさそうに目をつむり私の腕の中でむずがりはしなかった。
息子夫婦は生まれたての小さな小さな彼女に将来何を望むのだろうか。
今回の小さな旅は原爆記念館に訪れる時間は持てず、
息子の運転する車からアメリカ軍戦闘爆撃機B29が攻撃目標とした
相生橋から原爆ドームを見るにとどまった。
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