MRJ

野口具秋です

11日09:30、固唾を飲んでTV画面に虜になっています。
MRJが飛び立つ歴史的瞬間を見逃したくないからです。
初飛行が延期になる度、
戦後日本の成長に合わせ育った者として、
なぜ日本に国産機が飛んでないのだろうかと
悔しい思いをしてきました。

並走して飛ぶ、小型機の機映が
横綱の土俵入りの露払い、太刀持ちのごとくで、
何とも言えない優美な姿が
力強く頼もしく、たまりません。

国産旅客機YS11は優秀なプロペラ機で
あったようですが、
産業の底が浅く、コストが高過ぎ、
商業ベースに乗らず生産中止。
50年の空白が生まれたのです。

MRJは400機超の受注があるようですが、
1,500機売れないと採算に乗らない。
カナダ、ブラジルが先行し、
中国は7年完成が遅れている。

需要は5,000機の市場を争うようです。
長野県・多摩川精機が尾翼部品を担当しています。
100万点の部品、自動車の数10倍の数が必要です。
ものつくりニッポンのためにも頑張ってほしいです。

10代の終わるころ豊中にいました。
金は無くとも暇は持て余す世代でした。
自転車に乗り、隣町の伊丹飛行場に
飛行機を見に出かけました。
空への憧れは誰でも持っていました。
小さな平屋の小屋が伊丹空港です。

離着陸の風景をフェンス越しに飽きずに見ていました。
そこには富士重工スバルサンバーの
軽トラックのホットドッグ屋が1台だけ停まっています。
田舎染みて絵に描いた長閑な時代でした。

日本で飛行機の初飛行に成功したのは所沢市です。
記念して、所沢航空公園に数機の飛行機に混じり、
決して大きくないYS11の雄姿が見られます。

久しぶりに対面したくなりました。
飛鳥というYS11の後継ジェット旅客機がありました。
各務原市の記念館に現存、一機展示しているのです。
YS11はゼロ戦の誇り、技術、伝統を
引き継ぎ完成したそうです。
静かに佇む雄姿はMRJに何を語りかけるだろうか。

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