想い出
人生は出会いが大切だ。
まもなく4月で新入生を迎える。私が法政大学大学院、政策創造研究科、坂本光司研究室で学ぶきっかけをお話したい。
坂本光司教授との出会いは、14年前に前職のTKC中部会事務局長の時に、坂本先生を2度講師として招きして鞄持ちを行い、いいお話をされると思った。
以後、何冊かの先生の著書を読んで大学院の教授と言うことは知っていたが、授業を受講したいと思ったが東京の平日の授業なので無理と思っていた。
3年前の夏に、テレビ寺子屋で吉本で横山やすしのマネ-ジャ-をやっていた「大谷由里子」先生の話を聞いて興味を持ち、名古屋の台本塾に参加した。
台本塾で3・5・10分間スピ-チと聞いて慌てた。
大谷先生の話を聞きたくて何でも良かった。ここで今は姉御(笑い)と呼ばせていただいているが易経の大家、竹村亜希子先生と出会う。
3か月に渡る台本塾の回数が重なるにつれて大谷先生のブログに坂本ゼミ生であることが書かれており、大谷先生に坂本ゼミについて質問した。
「土曜日は東京で、平日の夜は静岡サテライトキャンパスでも授業があり標準は2年履修だが、3年、4年履修でも良い」とのことと教えていただいた。大谷先生から入学関連資料をいただいた。
10月5日に公開授業があるので坂本先生にご挨拶をする機会があると言うので、参加させていただいた。
26階までのエレベ-タの中で坂本先生と一緒になり、「先生に学ばせていただきたい」と強い想いをお話し名刺交換をさせていただいた。「60歳、若い」と言われた。(続く)
*坂本光司教授は、1947年6月静岡県の焼津市生。4年生大学は法政大学経営学部。
小生は、1953年5月長野県千曲市生、4年生大学は坂本先生の後輩で社会学部。
*大谷由里子先生は、希な例だが坂本ゼミから増淵俊之ゼミに移籍された。増淵先生の授業を受け大谷先生が移籍した理由が分かった。大谷先生が興味を持つ分野だからだ、大谷先生からは「知野さんは坂本先生があっている」と言われていた。
*大谷先生からコメントをいただいた。坂本先生との出会いがなければ、増淵先生との出会いがなかったと。
*竹村先生は大谷先生の話に刺激を受け受講していた。龍のようにさらに飛躍された。
入学試験は、大学院に入学して取り組みたい研究テ-マのレポ-トの提出と30分間の面接。
研究テ-マは、3つあり「①夢のある障がい者の就職支援、②輝く女性の就職支援、③いい会社は経営分析値に結果が表れるがそれを追究する」3点であった。
面接で、坂本先生からは絞った方が良いとアドバイスをいただいた。が、全部チャレンジすると回答させていただいた。③はゼミで研究していると話された。
面接は、坂本先生と上山肇先生(地域社会論)と樋口一清先生の3名の面接官であった。質問は上山先生を主に「名古屋から東京まで通うのは大変で続かない人が多い」とかマイナス思考の質問攻め(笑い)。
社会人大学院の試験は大学院によって異なると思う。
社会人の経験をしてからの学びは本当に勉強になる。お勧めしたい。
研究テーマ、修士論文のテーマは、宝塚歌劇団についても一時考えた
テーマは短くするが趣旨は下記の通りだ。
「30%の前向きな経営者を10%の前向きな会計事務所に替えて、より成長発展し、障がい者・女性・高齢者の雇用を促進し、
法人税、給与を含む所得税を堂々と支払い日本経済の循環を良くする」。
まもなく修士3年の知野 進一郎です。
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