年賀状はラグーナさんに^ – ^
1年前
お願いをした成長した素敵な女性と去年お会いした。
年賀状はラグーナさんに^ – ^
長文です^_^
あす、
16日(土)に法政大学大学院、坂本教授著の「日本でいちばん大切にしたい会社」の5が発売される。
2008年4月に出版され、2.3.4と続いた、累計で67万部。ベストセラーでロングセラー。
1.2.4.3.と2回ずつ紹介してきた。今回が最終回。
3の4番目に紹介されたのは、鹿児島市の「ラグーナ出版」さん。
坂本教授が同社を知ったのは、2010年の12月、同社の女性社員からの手紙だった。
「障がい者を受給者から納税者に..」というフレーズです。
「ひとつお願いがあります。いつの日か私たちの会長さんや社長さんをほめてあげてください。」
手紙をいただいてから2か月後に鹿児島市へ。
こんなことはよくある。メールや手紙、雑誌や新聞等の記事を見て、7500社以上、企業を訪問している勘が働き行動を起こす。
精神障がい者を社会復帰させたいとの一心で..。川畑社長と森越会長の苦労は3を読んで欲しい。
2008年にラグーナ出版を設立。去年の12月に移転した。
大学院入学前から二度、鹿児島に行っているが、ラグーナ出版に寄らず、坂本教授からは「もぐり」と言われたが、昨年11月に訪問した。
昨年の12月に障がい者に働く場を創っている「まるみプリント印刷」さんが大口の名刺を発注していた会社が価格が安い会社に替えた。
坂本教授、「潰してはならない、応援する」。年末の28日に教授とゼミ生有志で訪問した。
「ラグーナ」は、「ひがた」の意味だが、「つながり」という意味もある。
11月に訪問した時に、6名の障がい者が手作りの絵本を創っていた。聞くと「ゼミの先輩でビッグママと言われる愛媛県の増田かおりさんが経営するマミーズファミリーの園児の誕生日祝いの絵本だと言う。」目頭が熱くなった。
まるみさんのトランプが園児の卒業記念にという案内があったので、同業者のつながりが大きいので同業者に紹介して欲しいと無理な依頼をした。
1月に増田さんがまるみさんを訪問した。何とラグーナさん始め何人かがつながっていたとのこと。ラグーナ=つながりだ。
5番目は、新潟市の「大谷」さん。
3が出版された2011年の第1回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の実行委員長賞受賞企業だ。
62歳の私が産まれる前の1951年、現会長の大谷勝彦さんのお母さんが自宅で生計を維持するために創業した。
同社のHPの会長の挨拶を紹介する。
私の人生観・経営観
私たちは働くことによって二つの報酬を得ている。一つは、働きの結果としての収入や地位が与えられる。それは多少の不公平があったりもするが、長い目で見ると働きに比例している。
二つ目の報酬は、職業人として、人間として一度限りの人生の中で自分の可能性を開花させ、仕事を通して自身を成長させるということである。しかし、人間は報酬だけでは満足はしない。人のために役立っている、世の人々を幸せにする、社会に貢献している、という実感が伴ってこそ生き甲斐、働き甲斐があり、自分の存在意義を確信できるのである。
会社は、従業員の物心両面の幸せを実現する場である。そのためには、お客様に選ばれる商品やサービスを提供する以外に方法はない。
お客様に喜びと満足と感動を与え続けた結果として、私たちの物心両面の幸福が実現できる。とはいえ、従業員がお客様満足に注力するためには、従業員自身の満足が必要不可欠であり、社長は、従業員がその会社で働くことが幸せだと感じる会社をつくることに全面的に努力するのは当然のことである。社長は従業員の幸せのために、従業員はお客様の幸せのために、それぞれ一致団結して全力を傾けねばならない。
いい会社は理念等が素晴らしい。大谷会長の生い立ち、会社の経緯については、3を読んで欲しい。涙、涙。
6番目は、島根県松江市の「島根電工」さん。
同社のHPを見て欲しい。
「住まいのおたすけ隊」は、あなたのお住まいの「ちょっとした困ったこと」を即解決します!
例えば「照明器具が暗い!」、「コンセントが足りない!」、「水道の蛇口から水が漏れる!」、「換気扇が汚れている!」などなど・・・。皆様の快適な暮らしのために、住まいのおたすけ隊は今日も出動です!
HPには施工例も紹介されている。
国立病院機構浜田医療センター、島根県立古代出雲歴史博物館、島根県立こころの医療センター、島根県立美術館、しまね海洋館アクアス、山陰合同銀行本店、島根県立美術館、しまね海洋館アクアス、山陰合同銀行本店ビル、出雲ドーム、島根県立大学、島根県立中央病院、島根県立大学、島根県立中央病院。
地域密着が分かる。
7番目、最後は宮城県仙台市の「清月記」さん。
同社の特長は2つある。
一つ目は、3の223Pの最初に記載している。
3月11日の東日本大震災-大混乱の最中にあるその日の夕方、清月記の社長は、長年取引のある四国の棺メーカーに急遽、1000本の棺を依頼しました。
入社したばかりの社員まで参加しての仮埋葬、掘り起こし、そして被災者の方々への、ミニ仏壇1500のプレゼント。
葬儀社としての活動でした。
「ノーと言わない究極のサービス」を目指す姿勢が、東北No.1の会社をつくったのです。
二つ目の特長は、オリジナル会葬礼状だ。2011年には坂本教授が触れていない。
私のFacebookの11月27日の投稿だ。
こんな会葬との出会いがありますか。
本日は、ご会葬頂き、誠にありがとうございます。
夫〇〇〇〇は、平成二十六年十月〇〇日七十二歳にて生涯に幕を下ろしました。
私が夫に渡していた携帯電話。発信履歴の一番最後は、息を引き取るほんの二時間前でした。そして、それは長女宛。しかし不思議なことに娘の方には着信が残っていませんでした。
早朝でしたので、夫は娘を気遣い、呼び出し音が鳴る前に電話を切ってしまったのでしょう。
「元気になったよ」と言いたかったのか・・・。はたまた声を聞きたかったのか・・・。あの時、何を話し何を伝えたかったのか、それを聞く術はありません。
女性ナレーターの声と共に、隣席の法政大学大学院、坂本光司教授を含め、神田経営者クラブ、静岡県中小企業経営革新フォーラム21、福井県中小企業経営革新フォーラムの私を含め20名の社長等からすすり泣きがもれた。
マコセエージェンシーの五十嵐社長が日本全国の葬儀社を飛び回ったが、オリジナル会葬礼状は相手にされなかった。
最初に採用したのが、「清月記」の菅原社長だった。
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