あたたかい気持ちでの最後の別れ
こんな会葬との出会いがありますか。
本日は、ご会葬頂き、誠にありがとうございます。
夫〇〇〇〇は、平成二十六年十月〇〇日七十二歳にて生涯に幕を下ろしました。
私が夫に渡していた携帯電話。発信履歴の一番最後は、息を引き取るほんの二時間前でした。そして、それは長女宛。しかし不思議なことに娘の方には着信が残っていませんでした。
早朝でしたので、夫は娘を気遣い、呼び出し音が鳴る前に電話を切ってしまったのでしょう。
「元気になったよ」と言いたかったのか・・・。はたまた声を聞きたかったのか・・・。あの時、何を話し何を伝えたかったのか、それを聞く術はありません。
女性ナレーターの声と共に、隣席の法政大学大学院、坂本光司教授を含め、神田経営者クラブ、静岡県中小企業経営革新フォーラム21、福井県中小企業経営革新フォーラムの私を含め20名の社長等からすすり泣きがもれた。
鹿児島市の新幹線の鹿児島中央駅から徒歩5分の「マコセエージェンシー」さんの視察の一場面だ。
昭和32年生。五十嵐芳明、美術好きな恩師の影響でデザイナーを目指した。
東京から鹿児島に戻り、広告代理店で7年間営業をやる。社長がガンで亡くなり会社も解散、解雇された。
昭和63年に会社を興す。後発だったが黒枠広告に参入する。成功した社長の7割は創業当初、資金繰りに苦労するが、エンジェルの恩師と出会い、資金繰りの苦労はなかったと言う。
気持ちの良い葬儀ってなんだろう。立派な祭壇、花壇?違う、悩んだ。
親戚代表の心のこもった挨拶がヒントになる。
今のオリジナル会葬礼状が浮かぶ。14年前だ。
同じ時を刻み、同じ道を歩んできた私達夫婦は十一月で結婚四十周年を迎えます。子供達からのプレゼントで、来月には二人で相撲の九州場所を観に行く予定でした。「この日だけは治療日程を組まないで下さい」と、夫は何ヶ月も前からお医者様に頼み、何が何でも行くのだと、体調管理に気を配ってまいりました。
願いは叶わなくなってしまいましたが、きっと また再開できると信じていますので、その時の為に約束はしっかりと心に留めておこうと思います。電話の発信ボタンを押したなら、最後にこう伝えます。
「幸せでしたよ・・・本当に本当にありがとう」
~妻より
今では、47都道府県、1560の葬儀店から年間118、000のぬくもりも発信している。全国の1割。
マコセを追って、10社程度競合会社が出る。かなわない、結果としてシェアだが片手間ではできない。
成功の鍵は、
この面では才覚のない五十嵐に代わる、鹿児島の風土で育んだ優しい鹿児島魂を持った素敵な女性達だ。
知野さん
マコセエージェンシーさまにも
ぜひ伺わせていただきたいです
本田佳世子