出生率2.81――“子宝”日本一の島が大切にしてきたこと
素晴らしい学ぶべき事が多い。
長寿、いろいろな特長も持っている。若者が島を出て人口減の町でもある。
素敵な写真も良さが分かる。
ネットから。
出生率2.81――“子宝”日本一の島が大切にしてきたこと
8/4(金) 11:26 配信
合計特殊出生率の全国平均は1.44。その2倍に及ぶ2.81という数値を維持しているのが、鹿児島県奄美群島の徳之島・伊仙町だ。
美しい海と山に囲まれた同町では、「3人きょうだいが一般的」で、5〜6人兄弟も珍しくないという。
子どもが多く生まれ、育てられるのはなぜなのか。現代の奇跡ともいえる子宝の島の秘密に迫った。
(ライター・庄司里紗/Yahoo!ニュース 特集編集部)
合計特殊出生率2.81を支える地域の力
鹿児島空港でプロペラ機に乗り換え、南南西におよそ1時間。
雲海の向こうに、紺碧の海に囲まれた緑の島が見えてくる。鹿児島県の離島、徳之島。奄美群島のほぼ中央に位置する亜熱帯の島だ。
そんな徳之島には、もう一つ呼び名がある。「子宝の島」だ。空港も2012年より「徳之島子宝空港」という愛称がつけられている。
(撮影:八尋伸)
「ここでは、だいたい子どもが3人いて“普通”という感覚ですね」
島の南西部、伊仙町に暮らす主婦・吉村綾香さん(30)はそう話す。現在、11歳の長男を筆頭に、長女(6)、次男(2)と3人の子育ての真っ最中だ。
「周りには子どもが5人、6人いる友人もいますし、私ももう1人くらい、いてもいいかなと思います」
放課後、サッカークラブの練習に励む子どもたち(撮影:八尋伸)
徳之島が「子宝の島」であることは、データも証明している。
厚生労働省が公表している合計特殊出生率(以下、出生率)の全国平均値は1.44(2016年)だが、5年おきに発表される市区町村別のデータによれば、2008〜2012年の伊仙町の出生率平均は2.81。
2位の沖縄県久米島町(2.31)や3位の同県宮古島市(2.27)を大きく引き離す。同じ島内の徳之島町(2.18)や天城町(2.12)も、全国平均を大きく上回る。
伊仙町は人口6874人(2017年6月現在)、サトウキビ栽培などの農業を主要産業とする小さな自治体だ。一方、100歳以上の高齢者の占める割合が大きい長寿の町としても知られている。
2008年に開館した「ほーらい館」では高齢者のための健康教室がほぼ毎日開かれている。(撮影:八尋伸)
人口10万人あたりの100歳以上高齢者数は、全国平均の51.68人を大幅に上回る298.31人。
かつて長寿のシンボルとして知られた泉重千代さんも伊仙町出身だ(1986年、120歳で死去したとされた)。
(撮影:八尋伸)
近所の人が夕飯を食べさせる
町の中心地は役場の周辺エリアだが、公共施設やいくつかの商店、飲食店があるのみで、繁華街と呼べるほどではない。
車で数分走れば、車窓の風景は風に揺れるサトウキビ畑と群青の水平線に切り替わる。
ウミガメの産卵地でもある(撮影:八尋伸)
そんなのどかな農業の町で、なぜこれほどまでに出生率が高いのか。町民に尋ねると、みな口をそろえたようにこう答える。
「ここには子育てしやすい環境が整っている」
中村孝雄さんの一家(撮影:八尋伸)
小学生から幼稚園児まで3人の娘を育てる中村孝雄さん(34)も、そんな一人だ。
現在、妻は資格取得のため鹿児島市で暮らしており、家は一時的に父子家庭なのだという。
「それでも子ども3人の面倒を見ることができるのは、近くに住む私の母や、周囲のサポートがあるから。
幼稚園や習い事の送り迎え、食事の世話などあらゆる面で助けてもらっています」
自然豊かな広々とした園庭で遊ぶ保育園児たち。伊仙町・わかば保育園(撮影:八尋伸)
子育てを支えるのは、血のつながった身内だけではない。近所の人や友人家族もまた力になる。
子育て中の友人同士で、子どもの送り迎えや夕食の世話を自然と支え合う。
赤ちゃんが泣きやまずに困っている母親がいれば、近所のおばあちゃんが飛んできて散歩に連れ出してくれる。ここでは、そんな育て合いもごく当たり前の光景だ。
役場近くで定食屋「和利館」を経営する南潤一郎さん(65)も、孫たちの食事の世話をするのが日課だ。
訪れた日は5歳になる孫が、店でお昼を食べていた。食べ終わるやいなや「ごちそうさま」と言って元気に飛び出していく。
「いつもすぐ裏の児童館へ遊びに行くんですよ」。南さんはそう言って目を細めた。
お爺ちゃんのお店で昼食を食べる(撮影:八尋伸)
「ここには“子どもたちを、集落のみんなで見守り、育てていく”という考え方が根付いているんです。
子どもが一人で歩いていても、大人たちはみんな『あれは誰々の家の何番目の誰々だ』とわかっているし、子どもたちも地域の大人とはだいたい顔見知りだから安心感がある。
みんなそうやって育ってきたんです」
お金がなくても助け合う文化
都市では、現役世代の多くが経済的な不安を理由に子どもを産み控えている現実がある。
だが、伊仙町では経済力と子どもの数はほとんど関連していない。
伊仙町の2016年度の住民一人あたりの課税対象所得(総務省「市町村税課税状況等の調」)は約221万円。
東京23区の平均(約500万円)の半分以下だ。それでも伊仙の人々は出産をためらっていない。
なぜなのか。理由を尋ねると、前出の中村さんは、お金がなくても助け合う文化があるからと答えた。
「もちろん収入のことを気にしてないわけではないです。
でも、伊仙町ではみんなだいたい畑を持っているし、牛を飼うなど兼業している家庭も多い。
穫れた野菜やコメを近所の人たちで分け合う文化もある。現金収入は少なくても、何とか食べていける。だから、収入が子どもを持たない理由にはならないです」
徳之島では黒毛和牛などの畜産も盛んだ(撮影:八尋伸)
闘牛の島としても知られる。年3回の全島大会では島が熱狂に包まれる(撮影:八尋伸)
2010年に伊仙町保健センターが実施したアンケート(回答者769名)には、町民に「子宝日本一となった要因」について尋ねている項目がある。
そこでもほぼ半数が「家族や友人、近所の人など子育てを支援する人がいる」(48.5%)、「子どもが多くても何とか育てていけると思う」(44.1%)と回答しているのだ。
こうした考え方の背景にあるのは、地域の子育てを支える「子は宝(くわーどぅたから)」という伝統、「地域信仰」とも言うべき強力な価値観だ。
(撮影:八尋伸)
100人以上が駆けつける出産祝いや入学祝い
「島では子どもが生まれると、必ず『名付け祝い』というお祝いをするんです。
当日は親戚だけでなく、遠い集落からもたくさんの人がご祝儀を持って駆けつけます。どこの家でも100人や200人ぐらいは普通に集まりますよ」
町内で「民泊幸ちゃん家」を営む竹田初枝さん(60)は、島に伝わる伝統についてそう語った。
「民泊幸ちゃん家」の竹田初枝さん(撮影:八尋伸)
「名付け祝い」では、主催する家がお神酒や御膳、お刺身、紅白のお餅、引き出物などを人数分用意して、来客に振る舞う。
集まった人々は三味線や太鼓に合わせて歌い踊りながら、子の健やかな成長を願う。こうした慣習は入学式や成人式など、子どもの成長に伴う大切な節目に設けられている。
そのため伊仙町では、週に一度はどこかで何らかのお祝いが開かれているのが常だという。ご祝儀の相場は、おおむね3000円だ。
「節目節目に祝ってもらうことで、その子と地域の大人たちにつながりができる。
島の子、集落の子として迎え入れるための儀式のようなものなんです」
集落全体で子の誕生を祝い、成長を見守る――。
こうした集落への強い連帯意識の醸成は、島の歴史にも関係している。
島の子どもたち。伊仙町わかば保育園(撮影:八尋伸)
歴史が強めた集落の絆
かつて琉球王国に属していた徳之島は1609年、奄美群島へ侵攻した薩摩藩によって支配下に置かれ、薩摩藩の統治が終わる1875年までの約260年間、厳しい生活を余儀なくされた。
こうした歴史に、離島という地理的条件や道路事情の悪さが重なり、徳之島では村落(集落)の者同士が団結し、助け合う文化が形成されていったと考えられる。
その名残は、現代も各集落そして島全体に色濃く残されている。
奄美大島と沖永良部島にはさまれた場所に徳之島はある(撮影:八尋伸)
集落文化を象徴するのが、小学校だ。現在、町内には26の集落があるが、小学校は8校も存在している。人口7000人弱の町に対して8校は多いという指摘は過去にもされてきた。
伊仙町長の大久保明氏(63)は、しかし、小学校を8校で維持させることはこの町では重要だと語る。
「小学校は集落にとって大事な地域拠点。
経済合理性だけで地域を切り捨てれば、集落で子どもを育てる地域文化も破壊されてしまう。
都会で少子化が進み、高齢者の孤独死が問題化しているのは、まさにそうした地域力が失われた結果でしょう。だからこそ、今の集落単位をできるだけ守っていきたい」
伊仙町長の大久保明氏。現在、4期目を務める(撮影:八尋伸)
高い出生率でも止まらない人口減
一方で伊仙町は大きな課題も抱えている。人口減少と高齢化だ。町の総人口は1960年の1万6234人をピークに、減少の一途を辿り、高齢化率も約35%と全国平均の約26%を大きく上回る。
一般的に、人口維持に必要な出生率は2.08と言われているが、その数値をはるかに上回る伊仙町で、なぜ人口が減っているのか。
伊仙町の出生率は、2015年単年(換算値)ではついに3を超えた(撮影:八尋伸)
その理由は、毎年多くの若者が島を離れる「社会減」が長く続いていたためだ。
「この島の若者は、10代後半になると進学か就職で9割が一度は島の外に出るんです」
伊仙町連合青年団で団長を務める吉田裕嗣さん(31)が説明する。自身も16歳で島を離れ、鹿児島市内の高校から大学に進学、卒業後に島へ戻ったUターン組だ。
「問題は、条件がよく自分のスキルを活かせる仕事が島に少ないこと。
仕事がなければ、島に戻りたくても戻れないのが実情だと思います」
吉田さんとともに青年団で活動する中和昭さん(30)も、高校進学を機に島を出て、数年間を島外で過ごした。中さんは出会いの問題にも言及する。
青年団で活動する吉田さん(左)と中さん(右)は、ともに伊仙町職員だ(撮影:八尋伸)
「一度島を出た女性たちは、島外で結婚して島に戻らないことも多い。
島に残った女性たちは、早くに結婚してすでに家庭がある。
だから島に戻ってきた独身の男性は、結婚して家庭を持ちたくても、思うようにいかないんです」
青年団では現在、女性メンバーの増強や出会いの場づくりなどにも新たに取り組み始めているという。
行政によるさらなる子育て支援へ
この現状に危機感を募らせた伊仙町は、若い世代を島に呼び戻すため、企業誘致などによる雇用の創出や、さらなる子育て支援策の拡充を図っている。
そのひとつが「子育て支援金」制度だ。
伊仙町保健福祉課の澤佐和子課長(撮影:八尋伸)
現在、第1子の誕生時に5万円、第2子に10万円、第3子以降は1人ごとに15万円が支給されているが、注目すべきは、その財源だ
伊仙町保健福祉課の澤佐和子課長(53)が語る。
「町内のお年寄りから『子どものためにお金を使って欲しい』という意見が寄せられたことをきっかけに、2012年度からは『敬老祝金』を減額し、その一部を子育て支援金に充てることになったのです」
そのほかにも町営住宅の拡充や不妊治療の旅費助成など、安心して子育てができる環境の整備に力を注いでいる。
保育所の拡充も急がれている。現在、町内には3ヶ所の認可保育園と5ヶ所のへき地保育所があるが、各認可園は60名の枠に対して受け入れ児童が80名を超えるなど定員超過の状態が続いているためだ。
「保育士の確保や育成も課題」と指摘する「わかば保育園」の児玉純一園長は、保育士の研修に全力を注ぐ(撮影:八尋伸)
「素晴らしい今日」を歌い続ける
明るい兆しもある。長年続いていた転出超過による社会減が、2013年以降、転入者の増加で社会増へ転換したのだ。
その背景には「若者たちの心情の変化が見て取れる」と伊仙町未来創生課の四本延宏・企画調整監(63)は指摘する。
「これまで町の若者たちは便利で豊かな都会の暮らしを求めて島を出て行った。いまは、逆に都会にはない人とのつながりや地域の絆に価値を見出す若者たちが増えてきている。島の豊かな暮らしが、再評価されはじめているのかもしれません」
卒業後はみな島を離れるという高校生たち。しかし、全員が「できるだけ早く島に戻ってくる」と答えた(撮影:八尋伸)
命を祝福し、町全体で見守り、支えてきた伊仙町。そんな伊仙町で、祝事の始まりに必ず歌われるという「島朝花節」の歌詞には、こんな一節がある。
「きゅうぬほこらしゃや いつゆりもまさてぃ(今日の素晴らしさはいつにも増して素晴らしい)、いつもきゅうぬぐとぅに あらちたりたぼれ(いつも今日のように素晴らしい日でありますように)」
伊仙町では今日もどこかで、「素晴らしい今日」を次世代につなぐ歌が響いている。
右が徳島博敏さん(79)、左がムツ枝さん(82)。島でよく知られた唄者だ(撮影:八尋伸)
(撮影:八尋伸)
庄司里紗(しょうじ・りさ)
1974年、神奈川県生まれ。大学卒業後、ライターとしてインタビューを中心に雑誌、Web、書籍等で執筆。2012〜2015年の3年間、フィリピン・セブ島に滞在し、親子留学事業を立ち上げる。
現在はライター業の傍ら、早期英語教育プログラムの開発・研究にも携わる。明治大学サービス創新研究所・客員研究員。
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