特攻 本当のことを知ってほしい
本当のことを知ってほしい。
本当のことを知ってほしい。
本当のことを知ってほしい。
法政大学大学院 坂本 光司ゼミの後輩の神原 哲也さんが、昨日、投稿した特攻隊員とトメさんの本音。
8月14日はポツダム宣言受諾の日、15日は玉音放送の日である。テレビ東京が13日に池上彰SPで「特攻とは何だったか」を放送したので、坂本光司教授がゼミで配布した特攻の母、鳥濱トメさんのお孫さんらの報告を見返した。知っている人も多いかもしれないが、その一部をお伝えする。
この報告は中小企業同友会全国協議会の中小企業問題研究会in鹿児島の第13分科会「命を大切にする社会こそ真の平和に繋がる~命を賭して日本の将来を託した若者に私たちは答えているか~」で行われた。
まず、いぶし社会保険労務士事務所長の飯伏純也氏の報告。最初の特攻は、フィリッピン・レイテ沖海戦。大西瀧治郎中将の命令で関行男海軍大尉ら五人の「神風特別攻撃敷島隊」が出撃、米軍空母セントローを10月25日に撃沈、戦死する(享年23歳)。その後、知覧からは439人が出撃、403人が亡くなった。(全国では4000人が戦死した、とされている)。439人は小さな紙に特攻を「熱望する、希望する、希望しない」のうち一つに○を付けろ、と迫られ、沖縄に飛び立ったという。関も以下のように同盟通信記者に語っていた。
「報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう」と。
知覧の富屋食堂に通っていた特攻隊員の上原良司大尉(23歳)の本音の遺書(幻の遺書)には、「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。ただ願わくば愛する日本を偉大たらしめんことを国民の方々にお願いするのみです」「自由は人間の本性であります。人間の夢であります。自由主義は必ず勝つのです。私は祖国日本が負けることは非常に悲しい。新たな自由な国に生まれ変わることは非常に嬉しい」と記して出撃した、とのことです。(上原大尉は公式の遺書は拒否した)。
次に鳥濱トメさんの孫である鳥濱明久さんの報告。祖母(トメさん)には「笑って行ったとか、喜んで行ったとか、そんな人を私は一人も見たことがない」と聞かされてきました。特攻を伝える写真や映画には、小枝や日の丸を振る映像(=社員)が出てくるが、これは軍の命令により高等女学校の14歳の少女たちが行った1回限りのこと。その中には叔母がいて、「目の前に穴澤(利夫)少尉がいる。映画のおじさんたちは私たちを撮っている。撮らないでほしい。涙で何も見えない」と日記に記した、とのことです。
穴澤少尉は女子学生に婚約者の伊達千恵子さんへの手紙を託したそうです。「智恵子よ。お前との明るい未来を嘱望しておったが夢は全て破れ去った。もはや穴澤はこの世には存在しない。・・・。一つだけわがままを言いたい、会いたい話したい智恵子。お前の残り一生、その笑顔のために俺は明日こそ笑っていく。お前の笑顔のために。さらば智恵子よ」。
教官の伍井芳夫大尉は、公式の遺書には「人生の総決算、何もいうことなし」としたが、生まれたばかりの3人目の子供、長男の芳則ちゃんへの手紙を残していた。
「父は姿こそ見えずと言えども空からお前のことを見守っておる。お父さんのいる家庭を見て羨ましがってはいけません。父は姿こそ見えずともお前のことを必ず見守っておるから、お母さんには迷惑をかけるのだから、決して世間の恥じるような日本人になってはいけません。いつかは恩返しできるよう立派な日本人に成長して下さい。そのために父は行きます。・・・。男子はお前だけだ、お姉さま、お母さまをよろしく頼んだぞ、さらば」。
記述していると涙が止まらなくなる。中途だがこれにて今回は終わりとする。
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