周利槃特

「利他のすすめ」という本が課題図書になっています。
あの日本理化学工業の大山泰弘会長が著したものです。
大山会長が歩まれた、この50年の人生経験からの哲学がまとめられた奥深い書です。

本では冒頭にお釈迦様の弟子である周利槃特(しゅりはんどく)の話から始まりますが、これだけでも相当のインパクトがあります。

弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、この周利槃特。どのくらい愚かだったかというと、ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思ってお釈迦様のもとを訪れます。

「私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません」

その時、お釈迦様が彼にこう言います。「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

そして、お釈迦様は、「お前は多くのことを憶えられないが、お前にはお前の道がある」と言い、周利槃特に一本の箒(ほうき)を与え、あらた改めてつぎの一句を教えました。

「塵を払い、垢を除かん」

それからというもの、周利槃特は多くのお坊さんのはきもののチリを払い、箒で各所を掃除しつつ、一心にこの旬の意味を考え、唱えました。「塵を払い、垢を除かん」一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにし続けていきます。

その姿勢に、始めは馬鹿にしていた他の弟子達も、次第に彼に一目を置くようになります。やがては、お釈迦様からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

一心に掃除をする彼の姿は、周囲の人が思わず手を合わせたくなるほど、気高いものになっていたのです。これを見たお釈迦様は、無言で説法のできる者として、周利槃特を十六羅漢に加えたのです

そうじ経営哲学を構築したイエローハットの鍵山秀三郎さんを彷彿してしまうお話ですが、大山会長は、周利槃特は実は知的障がい者、その人なのではないかと指摘されています。

知的障がい者の仕事ぶりや態度で悟らされることが人生を通じて数多くあり、それこそが人生そのものだったと語っておられます。

「健常者の心は社会の動きによって移り変わるものですが、彼らのあり様はいつの時代も変わらないはずです。移ろいやすい世の中の「定点」のような存在と行ってもいいでしょう。」

大山会長は知的障がい者の存在そのものからの学びが、何千年前からも、そして、これから何千年たっても、人間が人間であるかぎり変わらない根源的な真実であるとしています。

深いメッセージを感じます。これは実際に体感した者なら、誰もが共感できることではないかと感じます。一心不乱に働いている障がい者を目の前にしていると、心の底から感動を覚えてきます。言葉では説明しえない根源的なものを確かにそこに感じます。

彼らは凡時徹底の天賦の才の持ち主なのだということに改めて気づかされました。

小林秀司

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