人を大切に思う気持ち

今週、また辛い別れがありました
心臓病の患者会の活動を長年やっていることもあり、全国や岐阜県の先天性の心臓病の方とのつながりが多いのですが、残念ながら年に数回、辛い別れがやってきます

先天性心疾患の方の寿命は、未手術では40年ほどといわれているなかで、突然にその別れがやってきました
彼女は39歳でした
誰もが想像していなかった突然の別れだったのですが、やはり今思うことは、もっといろんなことを話しておけばよかったということです
僕もそうですが、たまに起こる危険な不整脈や、思い心不全が命取りになることがあります
治療はしていますが、こればっかりは、何とも避けがたい部分があります

通夜には僕が2度目に救急車で運ばれたときに、病院で同室だった方のお母様と一緒に向かいました
当時僕は33歳、同室だった息子さんは当時14歳の中学2年生でした

彼も重い心臓病で、彼の場合は心臓移植しか助かる道は無いということで、そのときをひたすら待ちながら、1年のうちの10か月ほどを病院で生活するという感じでした
彼と僕は主治医が同じで、年も離れていますが、いろんなことを話したり、時には遊んだり (といっても病院の同じ部屋の中なので、ネットをみたり、DVDを見るくらいです) していました
彼は元気になったら、ウェルテクノスに行きたいと言ってくれていたので、それがその後の僕ががんばってこられた原動力になっていた部分でもあります

帰りの車の中でお母様が話されたことは、僕と同室になった年にいよいよ移植がきまり、ドイツ行きを目の前にした時の出来事でした
僕らはドイツ行きが決まったことを一緒に喜んでいたのですが、その裏でこんなことがあったとは、全然知りませんでした

当時岐阜の大学病院では、人工心肺の設備があっても、使える医師がいないこともあって、移植前の準備は大阪にある、国立循環器病センターに行くことが当たり前になっていました
移植前の準備とは、弱った心臓の働きを助ける補助人工心臓の取り付けです

しかし彼の場合は、大阪での受け入れを拒否されてしまいました
設備もあり、それを使いこなせる医師もいるのに、どうして拒否されたのか?

それはもしものときに治療実績にならない、担当した主治医の責任になるとキャリアに傷がつくなど、本当に大切なことや必要なことを、どうでもいいプライドや地位や名声が邪魔をします

受け入れが拒否されたあと、僕らの主治医が取った行動は、一人で何度も岐阜大学に行って受け入れの交渉をして、ドイツから移植担当の医師を帰国させ (日本人医師です) 、最初は岐阜の病院でも全員受け入れ反対だったのを説得して承諾を取り付け、何とか補助人工心臓の取り付け手術を行うまでに導きました

しかしながら、こんなこと (受け入れ拒否) に無駄な時間を使ってしまったこともあり、その間、彼の心臓はどんどん弱っていっていたため、補助人工心臓がついても、もう移植可能なレベルまで回復することはありませんでした

彼が亡くなる2日前にお母様から電話があり、最後に会ってやって欲しいとのことで、短い時間でしたが、生きているうちに最後のお別れをする事ができました

お母様が話されたことは、やはり受け入れ拒否ということは、耐えがたい、悔しい思いが非常に強かったということと
最後まであきらめずに、共に戦ってくれた主治医への感謝でした

残念な結果になることは止むを得ない場合はありますが、やはり相手のことを思って、変なプライドや名声に左右されることなく、親身になって考えてくれる、本当に人を大切に思う気もちだと思います

それは坂本先生のおっしゃられる、人を大切にする経営にもつながる考えだと改めて思います

お母様は共に戦ってくれた先生には、深い感謝の気持ちはあっても、たとえ残念な結果になっても、それを責める気持ちなど微塵もないと言われました
僕ら患者も、そういう先生だからこそ、一つしかない命を預けることができるのです

改めて深く考えさせられる話でした

いろいろと書いてきましたが、最近の辛い別れは、どうしても自分とダブってしまうこともあって、平常心を保つのがやっとなのですが、今日も僕はまだ生きていますので、先に逝った仲間の分も、一日一日を大切にして、出来ることを精一杯がんばっていこうと思います

最後に、今回亡くなった彼女のご冥福を祈るとともに、彼女がくれた思い出は消えたりしないから、ありがとうの気持ちと感謝の気持ちで投稿を終わりたいと思います

M1 服部 義典

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