やはり苦労人 坂東太郎の青谷社長

先週の土曜日は、坂本ゼミの出張ゼミで、茨城県古河(こが)市の株式会社 坂東太郎さんを訪問させていただきました。本社で創業者の青谷洋治社長の講演をお聞きし車で10分の坂東太郎総本店境店で名物の味噌煮込みうどんセットを食べました。寒くなり一層美味しかった。

以下の多くは、師匠・坂本光司先生の「日本でいちばん大切にしたい会社4」からです。この本を一日でも早く欲しいと大学院入試前に発売日の一日前の報徳事務所の坂本先生の講演会に行き、青谷社長と名刺交換をさせていただきました。

青谷社長は貧困な家庭に育ち貧困ゆえ中学を卒業して農家を継ぐしかなくお母さんも52歳の若さで亡くします。親孝行できなかったと坂東太郎の経営理念を貫く「親孝行」はここからきています。親孝行の親は自分の回りの全員を言います。青谷社長の講話の最後に倍賞千恵子の母さんの歌はじ~んときました。

20歳の時に社長になる夢を実現するために農業をしながら夜はそば屋でアルバイトをします。朝早くから農業、夜はそば屋、半年で倒れます。高校生の妹が先生になるという夢を捨てて畑仕事をやることになり青谷さんは男泣きします。この日から青谷さんの目の色が変わりそば屋で無我夢中で働き3年で独立します。でも独立資金700万円が足りず銀行に11回足を運んで支店長が根負けして暖簾分けしてもらい「ずぎのや境店」をオ-プンします。現在、専務の奥様のきみえさんの内助の功が大きな支えとなります。奥さんをくどいてくどき落としたことを奥様に確認しました。(笑い)繁盛して従業員も増えましたが配達に行った従業員が交通事故に遭い生死を彷徨い家族の方と青谷社長の気持ちが命を救いました。

現在の社員は450名で80店舗近くあり北関東一円の方は幸せです。名物の味噌煮込みは名古屋の味噌煮込みで有名な山本屋本店に日参し味を研究し、メニュ-として登場させたが最初は売れなかったそうです。関東は白みそ、味噌煮込みの味噌は赤味噌だからです。工夫して岡崎市のカクキュ-の赤味噌を使用していただき感謝です。
「こんな水商売の店で大事な娘を働かせてたまるか」の一言は出前80%から出前を0にしてから間もなく言われた言葉。また、バブル景気の時も少しでも高い給与の会社に社員が流れ1/3が離職しました。日本一の規模ではなく日本一の幸せめざすに替えます。

青谷社長の話。日本は焼け野原から復活した。競争の時代は進化、深化(深堀)をしてバブルの絶頂期へ。バブル崩壊後は共創(共に新しい時代を創造)する時代で真価(本物の人財)、心価(心の価値)と説明された。成功者は苦労しないとなれないと思うが、とにかく勉強していることも共通点だ。

青谷社長の講話から味噌煮込みを食べて出発まで2時間もない。出張ゼミの運営を前回の石坂産業さんに続いてさせていただいた。ゼミ先の社長、社員の皆様に喜んでいただき、坂本先生やゼミ生にも喜んでいただければ良いと思う。本日12日に石坂社長がダイヤモンド社から「絶対絶命でも世界一愛される会社に変える!」を出版される。アマゾンで申込み済みだ。

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