ドラッカーと会津八一

 M2 瀬賀孝子 です。

 30年ぶりに全国を廻っているドラッカーコレクション……ドラッカーが
収集した日本画(墨画)。
 ドラッカリアンもどきを自称する私は、早速に初回展示場の千葉美術館
で拝観した。

 ドラッカーは実はこんな人だったのだ! と驚いた。私はドラッカーの
謦咳に触れる機会はなかったが、面識を得た人達から伝わるところでは
「穏やかな語り口、物静かな態度の人」という。確かに写真はいつも穏や
かな笑みを浮かべ、文章から受けるイメージも「穏やかな自制のきいた
人」だ。

 しかし、ドラッカーが「恋し」「愛した」という墨画は激しいものだった。
溢れる生命エネルギーをストイックに自制している印象だった。絵の中の
山・草木・風が激しく揺れ動き出し、今にも絵の中から飛び出してきそうで、
長く絵の前に立っていられない。
 これはドラッカーの内面なのだ。

 郷土新潟の人々が深く愛する「会津八一」は、ドラッカーとは逆の印象だ。
八一は、美術家であり書家。そして歌人である。
 ドラッカー学会総会が早稲田大学で開催された時、学内に「会津八一
記念館」を見つけ驚いた。早稲田では英語の教師を務めていただけなのに。

 八一の風貌は鬼瓦。実際に講義を聴いたという新潟大学同窓の大先輩
から聞くところによると、態度は傲岸不遜だったという。
 しかし、八一が書く仮名文字は優美そのもの。八一が詠む短歌は浪漫に
満ち溢れている。
 八一の外見と内面の印象のギャップの大きさに最初は戸惑うが、だからこそ
八一を愛してしまうという面もある。

 人間とは複雑なものだ…….。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

「ドラッカーと会津八一」への1件のフィードバック