越後の国

野口具秋です。

高速道路を走るバスの窓、
上越から中越に広がる黄金の波が、
秋の陽に風に輝いて波打っています。
飽きず眺めています。10年ぶりの景色です。
米、魚、酒、そして雪の越後・新潟です。
毎週土産に欠かせなかった「栃尾揚げ」が
夕餉のテーブルにドカンと乗っています。
越後の銘酒が、南魚沼でしょうか、
大きな、大きな白むすびが。
具は下越「村上」の昔つくりの鮭でしょう。
お膳立てしてくれた越後人の優しさが
喉に腹に沁み、思いが伝わります。

3点の印鑑セットを2人の子供に
贈ったのは成人式ではなく結婚式でした。
へそくり用にと、名前の銀行印にしました。
新潟赴任中でした。
赴任住宅のすぐそばの「大谷」だった気がします。
本社工場は当時毎日通った
取引先卸の近所だったのに驚き懐かしかった。
会長の話は、下肢に麻痺が残る血管系の疾患の後遺症が、
といいながら、力強く朗々としていました。
何より人間の優しさと慈愛に満ちていて
深い感銘を覚えるのでした。

最後の単身生活は華やかな繁華街にある部屋でしたので、
楽しく優雅なものでした。
越後の銘酒を呑み漁つたが、
「カーブドッチ」のワインは話題に上ることはなかった。
点在する小さなコテージ風の建物が可愛いい。
ショップを結ぶ小径が欧州風に高く、低く、
色とりどりの季節の草花と木立の並木道です。
訪れ人を楽しませてくれます。
代表の掛川さんが女性の目、
3人の子供を生み育てた鎌倉夫人。
豊かな感性と目覚めた経営者魂が力強く優しく、
後に続く、女性アントレプレナーに
勇気を与えてくれるでしょう。

1.2億人の住む日本国に全盲の弁護士はたった4人、
いや4人います。
ふと聞こえてきた青年は38歳の大胡田誠さんだった。
彼は3人目です。
慶応大法学部時代、受講中、
教授からタイプライターの音が煩いので隅に行け
と指示されたのです。
抗議した女学生がいて、
講義そっちのけの大論争になりました。
6度目に司法試験に合格。
「全盲の私が、弁護士になった理由」の著書があります。
障がい者が大勢働く大谷工房、
会長の優しさに、
大胡田さんの白杖が重なって見えるのです。

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