なぜ経営者は司馬遼太郎を愛読するのか
坂本光司ゼミ 修士2年 根本幸治
M大学政経学部に入学した娘が、「竜馬がゆく」を読んでいる。
指導教授より、経営者の愛読書から経営者の精神を学べと指示されたらしい。
私も高校生の時に読み、坂本龍馬と自分の将来と重ねて興奮したことを思いだす。
「国取り物語」「翔ぶが如く」「燃えよ剣」「坂の上の雲」など司馬遼太郎の小説に読みふけった。
司馬は関西人らしく、小説の主人公には菜の花漂う陽気な明るさがある。
また日本人らしく判官びいきとして、徳川より豊臣、長州より会津・新撰組を好む。
ただ、私が今でも読み返すのは、小説ではなく随筆だ。
「街道をゆく」「この国のかたち」「司馬遼太郎が考えたこと」
なぜ司馬は小説を書いたのだろう。
その原点は学徒出陣で徴兵された軍隊経験にあった。
戦争を指揮する陸軍参謀は、最高学府を優秀な成績で卒業したエリートである。
その参謀が統帥権の名のもと内閣(行政)や天皇を越えて勝手に暴走。
失敗や現状を隠匿し、机上の空論を掲げマスコミを巻き込み国民を扇動する。
統帥権干犯問題
1930年(昭和5年)ロンドン海軍軍縮条約は無効であるとする野党の政府攻撃。
軍隊は天皇が元帥として統治するものであり内閣関与(条約)の外にあるという解釈。
2・26事件
1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、
日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが天皇親政を実現すべく
1,483名の下士官兵を率いてクーデターを起こすも失敗した事件である。
内閣閣僚一斉暗殺という陸軍の暴走に激怒したのは昭和天皇自身だった。
「朕自ら近衛師団を率いて、此れが鎮定に当たらん」
この事件を機に陸軍統制派は皇道派を壊滅することで逆に勢力を得て
1937年(昭和12年)内閣政府を無視して関東軍が勝手に日中戦争を始める。
さらに、陸軍と海軍の予算獲得競争が戦地を太平洋にまで拡大させる。
兵站物資が尽き、転落が始まるが、精神力で補おうとする。
戦争末期、司馬は自分の上司が発した命令に司馬は愕然とする。
「帝都防衛のため、道をふさぐ逃げ来る国民を戦車でひき殺して行け」
国民を守る軍隊が国民を殺す。
いつから日本はこんなバカな国になったのか。
同じ時代を生きた同世代の三島由紀夫(小説家)とは180度価値観が違うのは面白い。
1970年(昭和45年)三島は戦後の自衛隊にクーデターを促し、賛意を得られず割腹自殺した。
司馬は旧日本陸軍の源にある長州藩の気質を狂気と評した。
日露戦争の軍神・乃木希典(長州)は無能な愚将であると暴いた。
司馬が本当に書きたかったのは、大東亜戦争のはずだった。
編集者がノモンハン事件を題材にすることを了承した時、司馬は断った。
「書けない。書けば感情が沸騰し正気を逸して死んでしまうだろう。
自分が体験した戦争を題材にするのは、リアル過ぎて書けない。
しかも、これらのバカな態度が日本民族の真の姿だとは思えない。」
司馬の日本人のルーツを探る旅が始まる。
1945年(昭和20年)終戦直後に、昭和天皇は皇太子(今上天皇)への手紙で敗因を語っている。
「精神に重きを置きすぎて科学を忘れたことである」
「軍人がバッコして大局を考えず、進を知って退くを知らなかったからです」
その悔恨を国民が共有して、技術立国日本として世界経済に復活した。
司馬は現代の日本政府も信じておらず、国家に頼って生きることの危険さを訴える。
1974年(昭和49年)の日本改造論を唱えた田中角栄時代の土地などの狂乱物価に憤る。
司馬が見つけた日本人は、
縄文人の「思いやり」と武士の「自立心」を兼ね備えた民族である。
東北に遺跡が残る縄文時代には戦争はなかった。
土地を私有する発想がなく、豊かな山の実や川の魚を皆で共有した。
武士は、国家を私物化した藤原貴族(荘園)から、
自ら開墾した農地の権利を守るため、武装して自立した。
「思いやり」は2011年(平成23年)の東日本大震災で再発見することとなった。
「自立心」は中小企業の経営者の中にあることを、坂本ゼミで学んだ。
坂本教授は社長に対して、人としての優しさと経営者としての黒字継続を求める。
大企業は大名なので、明治維新を指揮するような気概は無い。
中小企業はサムライ(下級武士)なので、自ら最前線で真剣勝負に挑み革命をもたらす。
優しさと自立を兼ね備えた「文武の調和」、これが日本人らしい経営であり、
今の経営者にとって司馬の小説の主人公が理想像のモデルとなるのだろう。
2016年(平成28年)、今年は司馬遼太郎(72歳没)が世を去って20年目に当たる。
菜の花忌にいき司馬さんを偲びました。
根本さんも相当なファンだと知りました。
息子がひとりで司馬遼太郎記念館に行ったときは
親としてホッとしたことを覚えています。
お嬢さんにも影響力が大きいと思います!
出会いに、おめでとうございます!
本田 佳世子
最近では文理両道という言葉も言われ始めていますね。日本は文系、理系の進路の分断がきつすぎて発展の足かせになっているということも言われ始めています。