再び、「町工場の宮沢賢治になりたい」

法政大学大学院 坂本 光司ゼミの63歳の1年生の埼玉県草加市の山元証さん。
次の出版を考えているようだ。

人生の達人

私は来月で63歳になるが、ここまで生きてきて本当によかったと思う今日のパンダ理容室の創業者の末吉さんのいる千倉パンダ村への訪問だった。

多くは別の形で書きたいのでここでは少ししか語りません。

この方のドラマでも有りえないような人生。
そして、何者でも自分の世界に受け入れる度量。

以下に要旨のみ書きます。

1.生後半年で両親を相次いで病気で失う。

そのご四軒の親戚を回され育ちました。
後に結婚した奥様にどうやって子供達を愛したら良いか?教えてくれ!僕は親の愛情を知らないから。。
と言ったエピソードが有ります。

2.19歳で後に博物館入りしたパーマネントの薬剤の専門書を発行する。
戦後、いち早くパーマブームを予見した末吉さんは仲間数人で毎晩パーマネントの研究をする。どうしても分からず、最後の1人になって、調べて京都大学の助教授に辿り着く。

中卒で専門学校しか出ていない末吉さんには大きな夢があった。
相手にしてもらえなくても、しぶとく食い下がり、了解を得たばかりか大阪の研究所や資生堂の研究員にも書いてもらう。
そして、わずか19歳の少年の専門書が世に出る。

これは後にパーマネントの教科書になった。
しかし、その代償として、末吉さんは90万の借金を背負う事になる。今で言えば2000万円はとうに超える額である。
3年間、1日も休まず働き、夜は銀座のバーテンダーをやり完済する。

末吉さんらしいのはその事をすっかり忘れてしまっていて、亀田総合病院の先生が一年前にこの本を手にして、どんなに凄い人なのか?
亀田総合病院で講師をやってくれ!
と頼みに来る。

ご長男に経営を譲られて引退の身の末吉さんは、この申し出をあっさりと断る。

3.生涯、車を持たず、住居は床屋の2階を貫き通す。

新人の寮は六畳なのに末吉さん一家の住まいは床屋の隣の家族4人暮し四畳半から始まる。
その後もずっと床屋の2階暮し。
土光さん以上の人だ。

4.どんな問題児でも学費も全部会社持ちで一人前の床屋にして退職金を払ってのれん代も取らず独立させる。その繰り返し。
シンナーや暴走族やリストカットの子も多かった。
フジテレビで取材した頃の社員定着率は93%。
信じないTV局は勝手に寮に泊まり込んでカメラを回す。
事実だどわかって、テレビ放映がなされた。

決定的に私が末吉さんを日本で一番素晴らしい!と思う驚愕的事実が有るがこれは今は明かせない。
別の形で表現したい。

死ぬ前に末吉さんと言う人物と会えて私は今晩心が充足感に満ち満ちている。
パンダ理容室の若者達は幸せである。
彼らもそう感じて、千倉のパンダ村の一万平米もある山の手入れに定期的に通っている。

悩める時もマスター、マスターと皆が呼ぶ末吉さんに会いに行く。
決して饒舌な方ではない。
仙人が饒舌な筈がないからだ。

再び、「町工場の宮沢賢治になりたい」を
最寄りの東武スカイツリーライン新田駅に広告を出しました。

駅構内のブックスあいさんに、ポップを持参して直木賞受賞作の隣に置いて貰いました。

後は売れるのを待つばかりです^_^

通称、赤爺の本は、
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4904380622/ref=mp_s_a_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&qid=1503058660&sr=1-1&pi=AC_SX236_SY340_QL65&keywords=山元証&dpPl=1&dpID=51dDyG6IECL&ref=plSrch#immersive-view_1503058674552

赤爺、来週の坂本ゼミの夏合宿、伊那食品工業さん等の長野方面の責任者だ。

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