「急成長したら会社の寿命が来てしまうから、ゆっくり大きくしなさい」は創業者の教えだ。
日経MJの連載、当然、他業種でも参考になる。
3月16日に法政大学で第8回「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」の授賞式が開催される。
同社は第3回の受賞企業だ。
ネットから拾った。
「急成長したら会社の寿命が来てしまうから、ゆっくり大きくしなさい」は創業者の教えだ。
法政大学大学院 坂本 光司教授と伊那食品工業の塚越会長が言っている「年輪経営」そのものだ。
ケーズHD・加藤修一相談役 「老害が会社経営をおかしくする」
インタビュー
2017/11/24 18:00
ケーズホールディングスの創業者・加藤馨名誉会長(故人)の経営理念を引き継いで「がんばらない経営」という経営スタイルをつくった加藤修一相談役は、65歳で社長を、70歳で会長を退いた。
父親でもある馨氏の背中を見て経営してきたという加藤相談役に、ケーズデンキの創業70年を振り返りながら経営の原点について聞いた。
取材・文/ 細田 立圭志、写真/ 大星 直輝
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ケーズホールディングスの加藤修一相談役
「老害」が会社経営をおかしくする YKK戦争は「負けない戦い」だった
創業者の教えを守り、社長は最長65歳まで
―― 2011年に65歳で社長を退いて会長になり、16年6月に70歳で会長職からきっぱりと退かれました。
惜しむ声はいまだに多いですが。
加藤 いろいろな会社を見てきて、世代交代でトラブルが起きている会社の原因は老害だと思います。
社長ができるところまでやってしまうのは、企業にとって悪いことだと考えます。
社長がしっかりしているうちに継承しなければいけません。
ケーズデンキでは、65歳の人は社長に選任されないので、老害の心配はありません。
私自身は、50歳で社長を辞めて会長になりたいと思っていましたが。
―― 健康寿命が延びて今の65歳は昔よりも若いのでは。
加藤 よく言われますが、そうは思いません。
たしかに昔よりも健康ですが、逆に若い人も、社長が務まるのです。
それなのに歳をとった人が続けていたら、若い人が育たず、会社の未来はないと考えます。
―― 家電量販店では、過去の歴史からも世代交代がうまくいかないケースが少なくありません。
加藤 他社のことはよくわかりませんが、30年前に家電量販店が成長する過程で、カリスマ的な創業者が輝いていた時代がありました。
しかし、そのときに60代の社長なんて一人もいませんでしたよ。
30代からせいぜい50代です。そのまま歳をとっただけのことで、健康だから続けているだけでしょう。
―― 加藤相談役は1982年に35歳で社長に就任しました。創業者の加藤馨名誉会長(故人)は当時64歳。そしてご自身は65歳で、遠藤裕之社長(現会長)にバトンをつなぎました。父親の影響を大きく受けているのですか。
加藤 そうですね。父親は「歳をとった人間がいつまでも社長でいてはいけない」と言っていました。
ケーズデンキという会社は、創業者の教えを、私も次の社長もみんなが守っているだけで、私の考えではないのです。
社長就任当時は9月20日が決算日だったので、半期が終わった3月20日に「明日からお前が社長をやれ」と言われましたが、「早すぎる」と思ったことはありませんでしたね。
「若い人も社長が務まるのに育たない」と語る加藤相談役
「コジマさんは大変な相手」、競合が売上3倍でも負けない
―― 今年創業70周年を迎えたことで少し過去を振り返っていただきます。
1986年にコジマが水戸に出店するなど、ヤマダ電機とケーズデンキ(当時カトーデンキ)の3社による北関東の「YKK戦争」が勃発しました。
どのような心境で戦っていましたか。
加藤 コジマさんはなかなか大変な相手でした。
販売価格でメーカーさんと取り決めがあったのに、安売りをするのですから。
実際に販売するときは当社と価格を合わせていても、お客様が広告で「安い」とイメージしてしまい苦労しました。
同じ150坪の店で、コジマさんの方が2倍か3倍売れていましたから。
しかし、私たちはPOSや自動発注システムを早くに導入し、少ない社員でよりよいサービスを提供することで、売上高が半分でも利益が出る方法で戦ったのです。
―― 1980年代から2000年にかけて日本がバブル経済で急成長するなかでも、「がんばらない経営」を貫いていたのですか。
加藤 抑えていたといっても、私が入社した69年から99年までの30年間は年25%で成長していました。
逆に50%は伸びないようにしていました。出店すれば売上高は5割伸びるけど、それはまずいので25%に抑えていました。
結果として年25%の成長を30年間続けて、売上高は1000倍になりました。
―― 50%の成長が見込めるのであれば、経営者ならそれを取りにいくでしょうが、そうしなかったのも創業者の教えですか。
加藤 「急成長したら会社の寿命が来てしまうから、ゆっくり大きくしなさい」と言っていましたね。
他社は関係なく、自分たちの会社が余裕をもって成長していることが大切なのです。
急成長すると必ず反動が来る。
当社は無理をしない。それが「がんばらない経営」です。
やるべきことは、正しいことをきちんとするだけです。
―― ただ、当時はコジマの本拠地の栃木に攻めていますね。
加藤 がんばって戦いを挑んでいこうという気はなかったです。拡大するときに栃木や千葉、福島、埼玉が茨城に隣接していたからです。
ケーズデンキはがんばらないので、遠くや飛び地に出店せずに、地続きで拡大します。
そのほうが力を蓄えながら出店できるからです。だから関東以外で商売しようとは当時、考えていませんでした。
―― 1990年代からはM&Aでエリアを拡大しました。
加藤 当社から相手を買収しにいったのではなく、仲間になってもらったというほうが正しいです。
よつば電機(現東北ケーズデンキ)をM&Aしたことで、いきなり東北全域がエリアになってしまいました。
急成長を遂げて売上高が100億円になったのに助けを求めてきたよつば電機をみて、将来、年商20億円や30億円の小規模量販店は厳しくなるだろうと思いました。
そして勉強会の参加メンバーから「FCにしてください」と言われて、新潟の北越電機(現北越ケーズ)からFC展開がスタートしました。
それまでケーズは力がないから茨城の周辺にしか出店せず、価格競争や大型店競争で負けない戦いをしてきました。
この戦い方が評価されたのか、ケーズデンキと組む会社が増えて今のケーズデンキがつくられたのです。
続きがあるが次回で。
※『BCN RETAIL REVIEW』2017年12月号から転載
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