能作【No6いい会社視察2014/9/9】
今回は2011年「第1回日本でいちばん大切にしたい会社大賞」にて審査委員会別賞を受賞された『株式会社能作』さんをご紹介させていただきます。
http://www.nousaku.co.jp/main/
2014年9月に坂本ゼミ夏季合宿先のひとつとして訪問させていただきました。
2014年ご訪問の時の本社入口
株式会社能作は富山県高岡市にあります。1600年代、加賀藩主の前田利長が高岡の町を発展させるために鋳物師を集めたことからこの地域における高岡銅器の歴史が始まりました。
現在銅器では国内生産額90%以上を占めています。製品ができるまでの大まかな流れは、雛形作成→鋳型作成→金属流し込み→研磨→加工→仕上げ。
高岡市の特徴としては、問屋さんの力が大きいと言います。原材料の調達から製品として販売するまで問屋が全体を取りまとめる役割を担っているために、会社単位で分業が進み、地域の安定や発展がもたらされました。その反面、競争がおこりにくく業界全体の発展が滞ったとも言えます。
そんな歴史のある高岡市において能作さんは1916年に創業し、仏具、茶道具、花器を中心に問屋さんを売り先として事業をはじめました。しかし、数十年経った2000年頃には時代の変化とともに高岡市の銅器の需要が減少、職人も高齢化していきます。もともと保守的な土地柄であることも影響し、同社も厳しい状況に直面していました。
現社長の能作克治氏は結婚を機に能作に就職し18年間の職人経験を経て2003年に第5代の社長となります。日頃、製品を実際に使う顧客の声を聞きたい、問屋以外に売り先を広げたい、業界を発展させたいという思いを強く持っていましたが、社長となる数年前にその思いがのちに同社のターニングポイントとなるきっかけにつながります。
それは克治社長が社長になる数年前に高岡市の勉強会に参加した時のことです。同社の技術が東京から参加していたデザイナーの目にとまり、そのご縁で2001年に東京で展覧会を開催することになります。展示会では同社の鋳物技術を伝えるための表現方法として真鍮をウレタン加工したベルを出品しました。鋳物の職人さんが見ればそのきれいさが際立つものでした。その結果、技術を評価したデザイナーさんから製品作成の声がかかり新たな仕事へ発展していきます。
さらに都内の有名ショップからベルを扱いたいと声がかかりました。しかし店舗に置いてみると全く売れませんでした。社長は売れない理由を店員さんや顧客から生の声を聞きます。そこから店員さんの“風鈴にしてはどうか”という意見がきっかけとなり風鈴の製品開発に繋つながります。風鈴は“ベルの100倍くらい売れた”といい、問屋に依存した従来ビジネスから、自ら切り開いたデザイナーさんとの協業や店舗向けに新規ビジネスが始まります。同社の高い技術が評価され、新たな商品開発や市場開拓が広がっていきました。
特に同社には純度100%の錫(スズ)加工のオンリーワン技術があり、金属でありながら形状が変化するユニークな製品が海外でも高く評価されています。
ご訪問した時点の2014年9月時点では90名を超える社員規模でした。半数以上は現場の職人さんです。しかも20代が一番多く、社員の平均年齢は33歳でした。そしてユニークな特徴として同社にはデザイナーはいません。同社は製品作りや技術を高めることに集中し、デザイナーは外部との連携になっています。上記の市場開拓のきっかけがその理由ではないかと想像しています。
同社は問屋向けだった下請け的なビジネスから、その商流は維持しつつも、見事に生まれ変わったオンリーワン企業と言えるでしょう。高岡の地を大切にして、技術を高め続け、市場にアンテナを張り、今までにない製品を作り、鋳造の新たな市場を作り出して高岡鋳物の伝統産業の創造的発展に貢献しています。
訪問時に簡単な計画を伺いましたが、2017年4月には本社移転を機に本社を工場見学・鋳物体験・カフェ・観光案内・ショップの複合施設に変貌させています。
2017年完成した新社屋
地方の中小企業がこの十数年で成し遂げたことは、全国の中小企業にとって参考になると確信しています。
何よりも社長や社員の皆さんの活き活きした動きや表情が印象的な訪問でした。
***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。少しでもお読みいただく皆さまのお役に立てれば嬉しい限りです。個人的な認識をもとにした投稿になりますが、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(桝谷光洋)
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