北海道光生舎【No41いい会社視察2017/9/12】

今回は2017年9月に坂本ゼミ夏季合宿としてご訪問した北海道赤平市にある『社会福祉法人 北海道光生舎』さんをご紹介させていただきます。坂本先生の著書で2016年に発売された「日本でいちばん大切にしたい会社シリーズ5」に掲載されています。視察では現社長で創業者の息子である髙江 智和理氏のお話、そして創業者の奥様にお話を伺うことができました。

●概要(訪問時) http://www.koseisha.or.jp/
法人名  社会福祉法人 北海道光生舎
住所   北海道赤平市錦町2丁目6番地
設立   1956年9月(昭和31年)
資本金  43億円
従業員数 749名(2017年3月31日現在)
利用者数 917名(2017年3月31日現在)
創業者  高江 常男(1927~2007)
代表者  理事長 髙江 智和理
売上高  53億円(2015年度)
授産内容 ホームクリーニング、ホテルリネンサプライ、ダイアパー(おむつ)、病院寝具、ダストコントロール
施設  赤平市・札幌市・歌志内市

●創業者;高江常男氏の想像を絶する幼少時代
1927年(昭和2)、北海道の赤平に11人兄弟の6男として生まれる。
10才の時、竹トンボの事故で右目を失い義眼に。
友達にいじめられる息子を見て思い悩んだ親は、奥尻島の漁師に預けた。
男の子は船酔いのたびに海に放り込まれ、なんとか努力するが克服できず赤平に戻る。
15才、電気技師の資格をとり電気屋に職を得る。
17才、軍が飛行場を建設するため山奥の電気工事に出かけ悲劇が襲う。
流れていないはずの3000ボルト高圧電線に触れ感電。
高所から転落。深い雪の上に落ち命は助かるも両腕を失う。

19才、自ら命を絶つために吊り橋へ行く。
しかし、“失うものはもはやなにもない。命懸けで生きてみよう”と自殺を思いとどまる。

●創業への想いと奥様との出会い
現実の世界は辛かった。
時代は第二次世界対戦。父は戦争へ。兄3人は戦死。
身の回りの面倒をみてもらえる人がいない。
着替え、トイレは一人でできない。
兄夫婦のお嫁さんには申し訳なく世話になれない。
トイレは必死で我慢する毎日だった。
父には早く戦争から帰って来て欲しかった。

なんでもいい。職を見つけなければ生活できない。
文字なら書ける。口に筆を加え小説家を目指す。
こんな体では長くは生きられない、医者にも言われた。
長くない人生なら1日3時間の睡眠で猛烈に努力した。7年間続けた。
収入を得るには文筆業しかない。
友人のつながりで新聞記事を書く仕事がやっと見つかった。嬉しかった。
ふと気付くと炭鉱の町だけあって回りには自分のように事故で不自由な人が多い。
自分だけでなく、みんなの生きる道を探したい。
企業を回って採用をお願いしても駄目だった。
自分で事業をおこすしかなかった。

後に妻となる女性は赤平近くの病院で働く妹さんに時々会いに来ていた女性。
札幌の食堂で働いていた。
(おそらく病院で)二人は知り合い、やがて結婚。創業の数か月前のことだった。
“常男さんは夢を語る。目がキラキラしている。人間はこんなにも目がキラキラするものなんだ”
そんな常男氏にひかれた。
“私がこの人の手の代わりをすればいい、事業が失敗したら自分が食べさせる”
それは二人分の人生を負うこと。
この男性を自分が一生面倒みようと決断した。

1年かけて事業計画を作った。支援してくれた人もいる。
企業授産。障がい者が働き利益を上げる。
ほとんど却下される案件が多い中、命をかけて銀行に乗り込む。
銀行から融資が承認された。
ついに北海道光生舎の前身が誕生。15名でスタート。

●創業後も苦難
創業はできた。
しかしこのあとも苦難が待つ。妨害のような外圧も乗り越えた。
自身は無給、新聞記事を書き続けることで収入を得た。10年続けた。
原稿は深夜1時までに赤平駅まで届ける。奥様も駅まで急ぐ。真冬は辛かった。
クリーニング業を軌道にのせなければ。
さまざまな障がいにあった分業を目指してクリーニング工程を細分化した。


この詩は片目と両腕をなくした故高江 常男氏がペンを口にくわえて書かれたものです。

●視察にて
この視察では当時85才になっていた奥様に直接お会いしました。
・障がい者の生活を支え続けた
・粗末なものは一切食べさせなかった
・約200組の障がい者の結婚を実現した
・障がい者同士の結婚を案じて反対する親を何度も通って説得した
今ではすべてが嬉しかった思い出だとお話されました。

すべては障がい者のために。
この創業者ご夫妻は、障がい者が住む場所、日々の生活、働く喜び、人生のすべてを支える存在です。
現理事長のやさしさに溢れる語り口も深く、大きな人間性を感じました。
北海道光生舎の存在は、もはやクリーニング業や社会福祉法人の域を超え、存在自体が唯一無二の価値を有していました。

***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(桝谷光洋)

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