No135記憶に残る経営者の言葉35 坂東太郎(茨城県古河市;外食産業)青谷洋治会長
今回は坂本先生の書籍「日本でいちばん大切にしたい会社4」に掲載され、2014年12月に坂本ゼミとしてご訪問させていただいた『株式会社坂東太郎』さんを紹介させていただきます。当日は青谷洋治会長に講話をしていただきました。
株式会社坂東太郎は青谷洋治会長が昭和50年に創業し、現在では茨城・栃木・埼玉・群馬・千葉を中心に80店舗以上を展開する外食産業です。
青谷会長のお話は幼少時のご経験から創業、そして苦難によって社員を大切にする経営へたどり着く物語があります。今も印象深く記憶に残っています。
小学校の卒業文集には、“将来社長になりたい”
15才、お母さまを亡くし高校進学をあきらめ家業の農業に従事
20才、日中は農業の傍ら夜に蕎麦屋さんでアルバイトを始めたことで、“社長になる夢が再熱”
24才、お蕎麦屋さんを開店
店舗が2つになり出前が売上の約80%を占めていたある日、悲劇が訪れました。11:30に配達にいった従業員が事故をおこし、さらに同日12:45に別な従業員も配達中に事故をおこしてしまったのです。青谷社長(当時)は、その場で出前をやめることを決断しました。生死をさまよった従業員の命が同社の大きな転機となったのです。
“従業員は採用してあげるのではなく、預かっている、家族の一員”
小学校の恩師が、「お前が心配だから」と校長を定年退職後に10年間会社をみてくれたそうです。
亡くなったお母さまが良く口にしていた言葉 “お天道様が見ているよ”
“頼まれごとは試されごと”
青谷会長のすべてのお話は不思議なくらい聞く人の心に何かを残すものがありました。有難い学びの場でした。
以前に投稿した記事は 株式会社坂東太郎【No19いい会社視察2014/12/6】このブログ内を検索してご参照ください。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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