ともに働きたくなる人を大切にするいい会社:坂東太郎

 こういう時期だからこそ、坂本先生の著述を勉強しなおしています。 今回は、“坂東太郎(和食ファミリーレストラン)”についてご紹介いたします。
(“坂東太郎”のホームページ:http://bandotaro.co.jp )

. 母の墓前で聴いた働く人を幸せにしてやりなさい
 -働いている人が幸せになれないから会社を辞めていくんだよ

●“働いている人”が幸せになれないから会社を辞めていくんだよ
 “坂東太郎”の創業者は、貧しい農家に生まれ育ちました。両親が病弱だったので幼少の頃から一家の働き手として朝早くから夜遅くまで畑で働く毎日でした。母親が早逝し 20歳になった頃、家計の足しにと夜は“そば屋”でアルバイトをはじめましたが、無理がたたって倒れてしまいます。「お兄ちゃん、今日高校を退学してきました。明日から畑は私がやるので、お兄ちゃんはおそば屋で修業し 1日も早く独立して社長になってください‥」高校生になったばかりの勉強大好きな妹が、先生になる夢をあきらめて畑仕事をするというのです。創業者は、誰もいないところで男泣きに泣きました。
 その後、創業者は死にものぐるいで働き、3年後には“のれん分け”をしてもらい“そば屋”を開業します。紆余曲折ありましたが、店は順調に成長し5店舗までになった時です。日本はバブル景気の最中、店の中核で働いてくれていた従業員がより条件のいい会社に転職していき、離職者は全体の3分の1にまで達しました。心が折れた創業者は、毎晩母親の墓参りをし、一心不乱に祈っていました。「おまえのところで働いている人が幸せになれないから、会社を辞めていくんだよ。みんなを幸せにしておやり‥」と、ある時墓前で母親の声が聞こえた気がしたのです。それまでは、会社の規模を大きくすることに夢中だった創業者は、現場で働く従業員みんなから話を聴き「従業員、業者さん、お客さんみんなが幸せを感じる“幸せ日本一の会社”にする」ことを誓ったのです。

. 社風を伝えるエピソード
 -幸せ日本一の会社をつくろう

“坂東太郎”の社風が分かる“エピソード”をお伝えしたいと思います。

●この店のお茶は“身体より心が温まる”
 東日本大震災のときです。“坂東太郎”は、従業員にも被災した人がいましたが、他の被災者のためにとどこよりも早く店を開いていました。命からがら逃げて来たずぶ濡れの被災者が店に来られたので、従業員が暖房のきいた暖かい席に案内し、身内を亡くされた被災者の話を涙を浮かべながらじっと聴いていました。その被災者が味噌煮込みうどんを食べて帰る際「もう一杯どうぞ‥」と温かいお茶を差し出しました。
 数日後、1通のハガキが届きました。例の被災者からのものでした。「この店のお茶は、身体よりも“心が温まりました”。哀しみを乗り越え、“日々頑張ろう”という気持ちになれました。ほんとうにありがとうございました‥」その時は無言で店を出られた被災者ですが、どうしても気持ちをお伝えしたかったのでしょう。「レストラン業は、地域のコミュニティーにならなければならないのです。」

●“女将さん”と“花子さん”
 “坂東太郎”では、パートやアルバイトで働く人たちに“やりがい”を持ってもらいたいと“女将さん”・“花子さん”という制度があります。
 「パートで働く人の中には、10年以上も同じ店に勤め、お客さまを熟知している女性もおられます。そうした女性を“女将さん”に任命し、出迎えや見送りなどの接客やスタッフのマネジメントを行ってもらっています。毎年、優秀な女将さんは会社から表彰され、パートで働く女性たちのモチベーションとなっています。」
 “花子さん”は、どちらかというとアルバイトの学生や若い従業員の“相談役”的な存在です。「若い人のしつけをしたり、悩みごとの相談に乗ったりすることを通じて、会社内で働きやすい環境を整えてくれています。女性の多くは家庭があり1日4時間程度の短時間勤務ですが、“女将さん”や“花子さん”として組織に欠かせない存在になることで、やりがいと誇りが生まれているのです。」

●働く人すべてが家族
 今から25年以上も前に、病気の娘さんを持つ女性(Y子さん)が “坂東太郎”の“洗い場要員”として働き始めました。Y子さんは、生活のため一生懸命に働き、やがて正社員となり、店長へと成長していきました。ところが、あるとき自分ががんを患ってしまい、その治療のため“1年間の休職”をしなければならなくなりました。
 幸いにもがんを克服し、1年後に職場に復帰した際のことです。“坂東太郎”は、Y子さんを“休職前よりも厚待遇で受け入れ、役職も昇格した”のです。
 「他の会社ではないことで、感謝しかありません。従業員や家族まで大切にしてくれる会社のおかげで、25年以上も頑張ることができました。」その後、Y子さんは念願のマイホームを建て、病気の娘さんも呼び寄せて一緒に幸せに暮らせるようになったそうです。

. 私が感じていること
 - “親孝行”の親とは地域の人たちすべてです-

●“親孝行”の親とは自分を生み育ててくれた親だけでなく地域の人たちすべてです
 私は、毎夜、妻と一緒に“両親とその先祖の写真”に向かって手を合わせ、“感謝のことば”を心の中で述べています。「今日も1日素晴らしい時を過ごすことができました。ありがとうございます‥」
 「私たちを生み育ててくれた両親がいなければ、この世に生を受けることはできなかった。そして、その先祖の方々がいなければ、両親もこの世にいなかったわけですので、毎日感謝の気持ちをお伝えしているのです。」
 しかし、また、人は社会の中で活動をし社会からいろいろな恩恵を受けています。会社では、同僚や先輩、上司から仕事上の支援を受けたり、教育を受けたりしています。時には、精神的に支えて頂くこともあります。生きるために食事をしますが、食材を手に入れることができるのは“野菜を育てたり、魚を獲ったり”してくれる人たちがおられるからであり、大金をいくら持っていても“提供してくれる人たち”がいなければ、手に入れることができません。
 このように、人は社会からいろいろな恩恵を受けています。だから、“坂東太郎”が掲げる 会社の理念“親孝行”の親とは、「自分を産み育ててくれた親だけでなく、地域の人たちすべて」となるのです。
 “坂東太郎”は、“ここで働く人、ここにお客さまとして来た人、納品をしてくれる業者さんなど”「みんなが幸せを感じる“幸せ日本一の会社”」を目指してきました。1994年には売上高10億円でしたが、みるみる成長し、バブル崩壊後の“失われた20年”の時期に、なんと売上高を7倍以上に増加させました。
「夏の暑い日も寒風吹きすさぶ冬の日も、従業員全員が毎日朝礼のために表に出て、“感謝の気持ちを忘れず”外に向かってお辞儀をしています‥。」

人を大切にする経営学会_人財塾2期生(合同会社VIVAMUS)中村敏治

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