No197 印象的だった経営者のお話 ~事業転換や逆風を乗り越えて~
今まで多くの経営者にお会いすることができましたが、今回は事業転換や逆風を乗り越えた例です。経営において、その期間に比例するように多くの困難に遭遇すると思います。そんな時、どのように乗り越えるか、その姿は多くの学びがあるだけではく、在り方そのものに普遍ともいえる大きな価値があると感じ、純粋に多くの方に知ってほしいと思います。
●株式会社サラダコスモ 代表取締役 中田智洋
〇事業転換
創業者は中田社長のお父様です。当初はラムネ製造を主として、副業的にもやしの栽培をしていました。しかし、ラムネは砂糖をたくさん入れ、もやしは漂白をして添加物を入れる現状を知った中田社長は、安全ではないラムネ・もやしの取扱い終了を決断します。そして安心安全なもやし作りの製造方法を求めて新たな歩みを始めます。
1973年、ついに漂白をせず添加物も不要なもやし製造方法を確立させます。それは農薬・化学肥料を使わず、ラジウムを含む温泉水とモンゴルの塩で育てた “安心安全な工場で育てたもやし”でした。
〇逆風 ~逆風カイワレ大根騒動~
1996年のO-157騒動は、今も記憶に新しい人も多いと思います。かなりの同業者が倒産したと言います。当時、サラダコスモ社では全社員の雇用を守ることを社長が宣言し、泣きながらカイワレ大根を廃棄し、全社が一丸となって苦難を乗り越えた経験があります。(のちにカイワレ大根は原因ではなかったと判明しています)
●石坂産業株式会社 代表取締役 石坂典子
創業者は現社長;石坂典子氏のお父様で現在相談役である石坂好男氏。
現社長は20歳で石坂産業に入社し、後述のダイオキシンの社会問題が渦巻く31才で“社長をやらせてほしい”と自ら志願し社長に就任しています。
〇事業転換と逆風 ~社会現象となった環境問題~
1999年ダイオキシン報道が大手メディアで放送され大きな社会問題と化します。当時同社の周辺は“産廃銀座”と言われ、大小60本もの煙突が立ち並ぶ一帯。地域の野菜は全国的に売れなくなり、産廃業者への反対運動が激化しました。
一番大きい設備を持つ同社は批判の矢面にたったのです。地域や環境団体からの圧力は相当なものがあったようです。一種の偏見や強い感情も含まれている状況であったのだと思います。
石坂典子氏は社長に就任し早速改革に着手します。その方針は驚くべきことでした。
“焼却”ではなく最新の“リサイクル工場化”
この事業転換は、15億円かけて投資した焼却設備をたった1年で廃棄する決断でした。
同時に人財教育、ISO取得を断行します。辞めていく社員も多く55才だった平均年齢は1年後には35才になったと言い、多くの痛みを伴いました。
しかし、数年後に業界のトップランナーとなり、地域に認められ、今やだれもが知るほど、価値のある企業になっています。
●最後に
企業を襲う逆風はいつ何時訪れるかわかりません。その備えが重要であることは言うまでもありませんが、その困難にどのように立ち向かうか、経営者の判断が大きな結果を生みます。坂本先生のおっしゃる“正しいか正しくないか、自然か不自然か”は大きな指標になります。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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