ウェルテクノス
坂本光司
人を大切にする経営学会会長
一つの聖地
ウェルテクノス
坂本ゼミ入学前に坂本会長から、名古屋から東京の法政大学へ通うので、岐阜から通う服部義典さんをフォローしてくださいと言われた。
丁度、前立腺ガンの全摘手術後だったので、痛みが分かった。服部さんは半年間は入院した。
生まれながらに心臓始め臓器が逆で酸素量は普通の人の40%ほどしかなく両手はどす黒かった。弱みを見せたくなかった服部さん。一度だけ自宅に行った時は酸素ボンベで呼吸をしていた。
一緒に歩くと互いに気をつかうので、30メートル後ろを歩いた。坂本会長からお寿司を奢ってもらった。美味しかったと言っていた。社員に給与を少しでも多くとの思いからカプセルホテルに泊まっていたので坂本会長から叱られ、服部さんと5回は一緒に泊まった。
寂しかったのか死の恐怖もあったと思う。
医者からは得意なPCを使って生計を立てれば70歳まで生きると言われたが働けない障がい者の為にウェルテクノスを立ち上げ、10を超える会社のサポートをした。45歳で亡くなったが、通夜告別式には自宅近くの一番大きな斎場は服部さんと同じ内部障がい者、車椅子での参列者も外に溢れた。服部さんの偉大さだった。
服部さんには時を置いて二人の憧れの女性がいた。
プロポーズをためらったようだ。結婚していればもっと長生きができたと思う。
人を大切にする経営学会ブログより
坂本教授とゼミ生が毎週交代で岐阜女子大学で講義をしているが、先週の11月4日11時からの90分の講義。外見は普通に見えるが障がい者1級で心臓を始め臓器が左右反対で内部障がいを持った同級生で24日に45歳になった服部義典さんが行った。私と同じく2年半前に入学したが、1年前に3日間、生死を彷徨い、以来、休学しているが、本人の希望で講義をした。
1か月前に寒くなってから両ふくらはぎに痛みを感じるというので、当日の送り迎えをすることにした。当日、自宅に到着するとお父さんから「具合が悪い場合は救急車を呼んでくれ」と初めて聞く言葉。
車で40分、「終わったら、美味しいラーメンが食べたい」と聞き、大丈夫と思った。
ゼミのまとめ役の同級生の西森さんが三宅学部長を通して服部さんのことを事前に学生にも伝えていただいていた。服部さん、酸素量が普通の人の40%程度しかないので、3メートル程度歩いてしばらく休まなくてはならない。
操作するPCを机上に椅子に座って50分間、力強く講義を終えた。「100人に1人は心臓に障がいを持っている」から始まり、自分の身体の状況や大学を卒業しても筆記試験は良くても、健康診断の結果で就職できない。地元の役場や近くの市役所でも当時は障がい者採用の枠はなく、一所懸命に就職先を捜した。1社だけあった。社長のお子さんが障がい者の会社だ。6年間勤務したが、同じ内部障がい者の仲間がまったく就職できない。意を決した。
仲間が就職できる会社を創ろう。ここから先は、障がい者が生き生き働いている鹿児島市のラグーナ出版さんから2014年に出版した「幸せな職場のつくり方 障がい者雇用で輝く52の物語」の48Pから掲載されている「ウェルテクノス」の社長なので他の物語を含めて読んで欲しい。女子学生から質問があったが、社名の由来も52の物語に掲載されている。
服部さんのお金の価値観。去年、服部さんはカプセルホテルに泊まっているという噂が教授の耳に入り、結果として服部さんと一緒に何度かカプセルホテルではないホテルに宿泊した。先日、改めて聞くと「社員は家族を持って一回しかない人生なので、できるだけ多くの給与を支払いたい」。「自分は社員より給与は安い」と言っていた。
服部さんの講義の最後に後半のグループワークの課題が提示された。
①重度障がい者の生きる意味を考えてみてください。②自分の生きる意味を考えてみてください。
服部さんと西森さんと私でラーメンを食べ、自宅へ送った。
しばらく立ってから三宅先生からメールをいただいた。そのメールを受けてこんな内容でゼミ内メールをした。
服部さんの講義、力強く、素晴らしかったです。パソコンを前に座って講義したので話しやすかったと思います。ご自身の体験談で説得力があり、相当、準備をしたと思います。
数日前から寒くなり体調が思わしくなかったですが、話をしながら気持ちが高揚し、最後は学生から拍手が起きました。
三宅先生からです。
本日は、貴重なお話をお聞かせいただき誠にありがとうございました。学生たちは(私達教員もですが)、ご自身で障がいを持ちながら志高く生きていらっしゃる服部様の姿に感動いたしました。
学生たちの意見として多かったのは、
・服部さんの生きる姿に感動した。
・自分の悩みはちっぽけだと思った。
・障がい者のことをもっと知るべきだと思った。
・自分も服部さんのような社会人になりたい。
・前向きに生きることの大切さを考えることができた。
・人生について改めて考える機会になった。といったものです。
(私)多くの女子学生が涙でした。
終了後、障がい者を支援したいと起業を考えられている学生が服部さんに質問をしました。時代は良い方向へ流れ始めていると感じました。
西森さんも同感だと思いますが、服部さんの講義を受講して感無量です。
重度障がい者、相模原で19名が、、、。服部さんによると障がい者が殺されたこともあったと言う。ネットで検索すると戦争時は残念ながら事実のようだ。
服部さんの大学院の研究テーマは「ウェルテクノス」の起業の動機と同じだ。
服部さんと知り合って、例えばJRの名古屋駅、東京駅でさえもエレベータやエスカレータがあっても端から端まで歩かなくてはならない等、障がい者には辛いことに気づいた。
坂本教授、21世紀の新しい主役は障がい者と言う。服部さんが女子学生に課題を出した①②について考えたい。
「人を大切にする経営学会」
中部支部
知野 進一郎
人を大切にする経営学会誌3号にも執筆させていただいた。
服部さんが元気な頃、中日・東京新聞の社説に服部さんのことが3回掲載された。この道の論説委員だ。
毎年12月19日の命日前後には服部宅を訪ねる。性格を継いだお母さんが昨年亡くなった。坂本会長も機会が有れば訪れているようだ。坂本会長と坂本ゼミ生の聖地でもある。
写真は伊那食品工業、菓匠Shimizuを訪問した時。伊那食品工業の写真の後ろ、右から三人目。
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