NHK大河「光る君へ」を仕事に活かす(源氏物語) 藤壺
藤壺(ふじつぼ)は、紫式部が著した『源氏物語』に登場する架空の人物です。光源氏にとって母親に似た年上の初恋の女性です。
源氏の母・桐壺更衣にそっくりの美貌の藤壺は、更衣の死後も悲しみに暮れていた桐壺帝が熱心に所望し、14歳で入内する。桐壺帝は藤壺と最愛の息子源氏を実の母子のように鍾愛し、共にその輝かんばかりの美しさもあって、藤壺は源氏の「光る君」と並んで「輝く日の宮」と称されました(「桐壺」)。
藤壺が亡き母によく似ていると教えられ、5歳違いの彼女を慕う源氏は、12歳の元服で葵上16歳を正妻に迎えながらも、17歳の藤壺に恋慕します。そして藤壺が病のため里下がりした折に肉体関係をもち(「若紫」)、その結果、藤壺は源氏に生き写しの男御子(朱雀帝の東宮、後の冷泉帝)をもうける。何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を「瑕なき玉」と歓喜しますが、源氏の子であることを知っている藤壺は秘密に苦しみます。(「紅葉賀」)。
その後、桐壺帝から朱雀帝に世は移り、桐壺院崩御と共に弘徽殿太后(朱雀帝の母)右大臣側の勢力は日に日に増大します。左大臣側の源氏の衰勢も著しく、主だった後見もいない藤壺は源氏からの更なる求愛に悩まされた末、東宮を守るために出家を選びます(「賢木」)。
東宮が元服し冷泉帝となった後は、太上天皇に准ずる母后(国母)として、前斎宮(後の秋好中宮)の冷泉帝入内に協力し政治手腕を発揮します。37歳の厄年で重病に伏し、それまでの冷泉帝への後見を源氏に感謝しつつ崩御します。「薄雲」帖で亡くなったことから、出家後は後世の読者から「薄雲女院(うすぐも の にょいん)」と呼ばれます。
藤壺没後、源氏が紫の上に藤壺のことをうっかり語った際、藤壺はそれを恨み源氏の夢枕に立ったりもしています(「朝顔」)。また源氏が紫の上を見出したのも、そもそもは紫の上が藤壺の姪で彼女に瓜二つの美貌であったためであり(「若紫」)、後に朱雀院から女三宮降嫁の話を持ちかけられた折も、女三宮が紫の上同様に藤壺の姪であることにも心動かされて承諾してしまいます(「若菜上」)。源氏の生涯を通じて彼の女性関係の根源に深く関わり続けた、永遠の恋人といえる存在でした。
現代の小説でさえ、天皇の子ではない皇子を出産し天皇の位につかすという想像するも恐ろしいタブーの物語を書けるはずがありません。朱雀院や冷泉院は実在する数代前の天皇の名前です。紫式部はなぜ書けたのでしょうか?不思議です。 (人を大切にする経営学会:根本幸治)
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