利他の精神が、会社の強さになる
人財塾6期生、株式会社飯田製作所 飯田健太です。
弊社は茨城県境町で精密板金加工業を営んでいます。現在は、主に建設機械のカバーやATMの部品、両替機の部品を製作させて頂いております。
昨年度は、人財塾にて坂本先生を始めとするコーディネーターの方々、人財塾の仲間の他、多くの方にお世話になり、貴重なご縁と学びの時間を頂きありがとうございました。
お陰様で、人財塾6期生の皆様、人財塾北海道支部の皆様、人財塾7期生方々、その他、関係業者の方含め、多くの方々が会社見学に来ていただきました。
今回、有限会社大城産業様に訪問させて頂いた際に感じたことを書かせていただきます。
以前、弊社社長が【人を大切にする経営学会】メールマガジン 第486号に掲載させて頂いた内容を見て、同じ茨城県である有限会社大城産業 大城勝 会長が会社に見学に来て頂きました。
大城勝会長の話を聞かせて頂き、社員さんを大切にする考え方や取り組みが素晴らしく、後日、大城産業様に見学に行かせていただきました。
会社に伺った際、社員さんの挨拶は明るく、掃除が行き届いており、掃除道具の管理も見える化されていました。また、会社のあらゆるところに「会長や社長の思い」や「皆に伝えたい大切な言葉」が貼ってありました。社員さんの日報も見せて頂き、勉強熱心な社員さんが多い印象的でした。
大城産業様の取り組みをいくつか紹介させていただきます。
・毎日30分、各個人、会社まわりの地域のゴミ拾い
・「感謝のつどい」では社員+社員さんの家族やお孫さん等多くの方を呼んで実施
・感謝のつどいの際、退職された方を沖縄から呼ぶ(交通費 会社負担)
・ノーノルマ、社員さんが話しやすい環境づくりの提供
・5Sの徹底(掃除道具に担当者の名前)
・情報の共有化(社長挨拶や日報、変更事項の伝達等、全員が確認し、一言記入する仕組み)
・コミュニケーションルームの設置
大城会長の人柄が会社の風土として伝わり、お客様に対しての考え方や社員さん同士の仕事の仕方が「人の為に」という思いで、行動されていることが伝わりました。
これからは私自身、自分の思いだけでなく、相手の立場に立ち、傾聴し、働きやすい環境にできるよう、改善していきます。
これからも、会社の「在り方」含め、自分自身の考え方や行動が、利他の精神をもって行動できるよう努力致します。
今後も、社長の思いを受け継ぎ、5方良し経営を一つ一つ実践できるよう、日々努力し、社員さんと共にいい会社を目指していきます。
人財塾6期生・株式会社飯田製作所・飯田健太
「大城産業様 HP」
「弊社社長【人を大切にする経営学会】メールマガジンの内容」
【人を大切にする経営学会】メールマガジン 第486号
―私の生き方・考え方―
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株式会社飯田製作所
代表取締役 飯田 正之
1958年、茨城県猿島郡境町、農家の長男として農業を継ぐものとして育ちました。24歳の時、手に職をつけて独立して家を継ぐ決心をしました。7年後ようやく独立しましたが、未熟で不安だったので別な板金会社で8時から5時まで働かせてもらい、そこから仕事を頂いて夕方6時半から11時までアルバイトの方と2人で働きました。12時を過ぎる時もあったりして、妻を褒めては度々手伝ってもらいました。今、思えば子供がお腹にいても、また年子で大変な時でもよく手伝ってくれました。改めて妻に感謝です。
平成3年、3千万円の借金をしてようやく工場を建て、曲げる機械ベンダーと角を切るコーナーシャ、単発の穴明け機セットプレスを購入しました。しかし、その月に今まで頂いていた会社からもう仕事出せないと言われ、仕事がゼロになってしまいました。バブル崩壊に直面したのです。借金だけが残り、夜も眠れない日がありました。とにかく一軒ずつ会社訪問して行きました。やっとの事で見つけた会社で曲げの仕事を頂きましたが、会社へ来て板切り(シャーリング)からやってくれと頼まれ、2人でないと出来ないため、初めて父にお願いして手伝ってもらいました。
その日の3時過ぎシャーリングの自動送り機に乗せた鉄板に父親の手袋がひっかかり右手中指第一間接切断する大事故を起こしてしまいました。厚い包帯をしてベッドに横たわる父に申し訳なく謝ると、父は私に悪いと思い「これで突き指しなくてすむわー」と冗談を言って私に気を使ってくれました。子を思う親の思い、数年後父は病気で亡くなりましたが、今でもその時を思い出すと涙が出ます。
それから必死に仕事を探し働き、1個300円の仕事を頂いた会社から10年で板金外注先No.1になりました。ところが会社を起こして14年、借金をして多額の設備投資をした矢先、年間売り上げの6割以上占めていたその会社が、まさかの倒産をしてしまいました。『人一倍真面目に働いてきた俺が冗談じゃない』いずれ連鎖倒産という噂。
何とかしなくてはと必死に駆け回る中、内心倒産した会社の社長を恨みました。
やり場の無い怒りや不安を抱え、絶望感で自殺する男の気持ちがわかる。父の墓に向かって「親父どうすりゃいいんだ・・・」1千5百万円の負債が仕事継続の為には、4千5百万円必要な事も分ってくる。そんなある日あっけらかんとした口調で妻が一言、「子供が生きるか死ぬかに比べたら、こんなこと、どうってことないよ」・・・幼い息子が病で死にかけた日の事が蘇った。髪振り乱して必死で看病する妻の姿も、父親の長い看護も、ふたりで乗り切ったじゃないか・・・。
妻と話し合ううちに、見えないものが見えてきた。
社員からも給料減らしてもいいから、会社無くさないでくれと言われました。
「自分が変わらなくては・・・」なけ無しのお金で経営コンサルタントを呼び半年間、妻とふたり月2回指導を受けました。私がいかに仕事に対して甘かったか反省しました。
また、倫理法人会に入会し、朝6時から7時まで行う経営者モーニングセミナーに毎週通い、色々為になる話を聴き勉強しました。そして、営業に出かけるときは京セラの稲盛さんのテープを繰り返し聴きました。
特に、「起きてしまった事を悩み心配するより働け、動け」という言葉は本当に勇気付けられました。
どんなときも大切にしてきた家族揃っての食卓を囲みながら、子供達にもきちんと事情を告げた。「お父さん大失敗してお金もらえなくなってしまった。でも逃げないで頑張るからな」日頃妻から「お父さんは偉いんだよ」と聞かされている子供に話すのは辛かった。
絶対に負けない!乗り越えてみせる!・・・「ピンチはチャンス」と書いた腕章をつけ仕事先にもそのまま出かけた。苦しい中、働く仲間みんなの頑張りが嬉しかった。
また、親身になってはげましてくれた人、仕事の世話をしてくれた人、その一つ一つがありがたかった。仕事も徐々に持ち直す事が出来た。人との繋がりこそが財産なんだ。
男にとって仕事とは何だろう。家族を養うことも、自分ひとりが頑張って働いてきたつもりだった。しかし、私の方が支えられていた。家族に、社員に、出会った人々に、そして亡き父にも・・・原点を忘れず大家族主義で社員を大切に、世の為、人の為これからも努力してまいります。
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