No342記憶に残る言葉【株式会社クラロン:代表取締役会長田中須美子(当時)】
今回は2017年9月に坂本ゼミ夏季合宿としてのご訪問や、東京にお越しいただきお話を伺った福島県にある株式会社クラロン:田中須美子会長のお話をご紹介させていただきます。
当時すでに90歳を超えておられた田中須美子会長。その背筋がピンとして、しっかりとした口調でお話され、活力がみなぎるそのたたずまいは、すべての人の模範となり尊敬を超えた存在感がありました。
“何かひとつでも皆さまのお役にたてばうれしい”
2017年9月4日、田中須美子会長のお話はこんなから始まりました。
<概要> (当時の会社案内及びホームページより)
概要(訪問時)
創業 1956年
創業者 田中善六(2002年没)
代表 代表取締役会長 田中須美子(創業者の奥様)
所在地 福島県福島市
社員数 134名(女性100名、60歳以上22名、70歳以上3名)
障害者数 36名(重度11名)(最高年齢63歳)(12名の班長のうち5名が障がい者)
障害者雇用率 35.1%(2017年12月末現在)
主な事業 学校体育着、官公庁制服等の企画、製造、販売
販売先 東北6県、新潟、栃木、茨城、埼玉県を中心とした小中学校、高校約1200校、官公庁
取り扱い製品 体操着、水泳着、柔道着、剣道着、体育用品、介護用品、タオル等
*スポーツウエア用品の取り扱いは1964年東京オリンピックの頃から開始
●印象深かった言葉
・“社員にとっては会社にくることが生き甲斐”、と語ってくれました。
同社では毎年年末に無遅刻無欠席の表彰を行っていますが、表彰者は多くが障がい者だそうです。
・“人生は余生ではない、与えられた人生”
・田中会長の好きな言葉はと聞かれた時のお答えは
“一期一会、一座建立、余情残心”
●繊維業、特に縫製は下請け構造が強く厳しい世界です。
2002年創業者で夫の田中善六氏が、突然お亡くなりになりました。深い悲しみの中、奥様の須美子氏は78歳のとき社長に就任されています。
創業1956年の時から社員7名中3名の障がい者が在籍していた同社は、あの日本理化学工業が2名の障がい者を採用した1960年よりも早かったのです。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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