No344記憶に残る視察【株式会社坂東太郎;2014/12/6】
今回は坂本先生の書籍「日本でいちばん大切にしたい会社4」に掲載され、2014年12月に坂本ゼミとしてご訪問させていただいた『株式会社坂東太郎』さんを紹介させていただきます。青谷洋治会長に講話をしていただきました。
http://bandotaro.co.jp/
<会社概要>(当時のホームページからの情報です)
創業 昭和50年4月
代表者 代表取締役会長 青谷 洋治 代表取締役社長 青谷 英将
事業 茨城・栃木・埼玉・群馬・千葉を中心に80店舗以上を展開する外食産業
社員数 正社員200名、グループ全体2200名
企業理念
『ばんどう太郎グループは、親孝行【人間大好き】を実践します。』
『社会に貢献できる人づくりを目指します。』
経営理念
『親孝行人間大好き企業』
<青谷会長 幼少時代から創業の頃>
・小学校の卒業文集には、“将来社長になりたい”
・15歳 お母さまを亡くし高校進学をあきらめ家業の農業に従事
・20歳 日中は農業の傍ら夜に蕎麦屋さんでアルバイトを始めたことで、“社長になる夢”が再熱。体力の限界まで働いた
・24歳 お蕎麦屋さんを開店
・店舗が2つになり出前が売上の約80%を占めていたある日、転機が訪れる。11:30に配達にいった従業員が事故をおこし、さらに同日12:45に別な従業員も配達中に事故をおこしてしまった。青谷社長(当時)その場で出前をやめることを決断。生死をさまよった従業員の命が同社の大きな転機となる
・出前を廃止したことでお店はお客様の席を増やす改装を実施。開店時の借入金もあったがさらに貸してくれた銀行に感謝
・小学校の恩師が、“お前が心配だから”と校長として定年退職後に10年間会社をみてくれた
・会社が厳しい時期、銀行に就職していた中学校の友人に青谷社長(当時)が相談。1年しないうちにその友人は銀行を辞めて入社してくれた。“なぜきてくれた?”となかなか聞けずにいたが、ある時聞いたら、“中学時代に一緒に過ごした日々を思い出したから”
・従業員は、“採用してあげる”のではなく、“預かっている、家族の一員”
・会社は理念を実現するためにある
・(接客について)おもてなしとはただすればよいのではない。最適な瞬間や方法がある
例)一人で来店したお客さまに対して、同社は新聞を出すようにしていますが、どのタイミングが良いのか、見極めていると言います。手持無沙汰を感じとる力が従業員に求められています。
・亡くなったお母さまが良く口にしていたことば “お天道様が見ているよ”
・戦後の復興時代 進化→深化(大量生産~会社の差別化が始まった)
バブル時代前後 深化→真価(バブル崩壊、本物の会社になること)
その後の時代 真価→心価(東日本大震災、心のある会社になること)
<おせち料理への思い>
青谷会長が子供の頃は、経済的な理由でおせち料理を食べられなかったそうですが、ある時、“おせち料理は日本の伝統であり、おせち作りは家族をつくるもの”と聞いたことに感銘を受け、同社の親孝行の理念に繋がって現在のおせち販売に繋がります。
単に数量を売ることは目標ではありません。お客様との間に、おせちを買ってくださる人間関係を作ることから始まります。買ってくれたお客様が家族と団らんしていることを想像できなければなりません。おせち販売の取り組みは、同社の理念を体現する人づくりの場となっています。
この視察の実現に向けて、坂本先生から視察の依頼があった時、それまでは滅多に外部向けに講演をされないという青谷会長ですが、“頼まれごとは試されごと”と快く受けたとおっしゃる姿が印象的でした。その後も人を大切にする経営学会等ではさまざまな場面でお世話になっており、大きな背中をより大きく感じずにはいられません。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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