No347記憶に残る言葉【日本理化学工業株式会社;大山泰弘会長(当時)】

今回は2016年3月の「第6回日本でいちばん大切にしたい会社大賞」にて審査委員会特別賞を受賞された『日本理化学工業株式会社』大山泰弘会長(当時・故人)の記憶に残る経営者の言葉をご紹介致します。2013年と2014年に坂本ゼミの視察やプロジェクトとして訪問させていただきました。

https://rikagaku.co.jp

日本理化学工業は現社長の大山隆久氏の祖父;大山要蔵氏が1937年に創業。要蔵氏の病気もあって息子であった泰弘氏(現社長の父)が大学卒業後に専務として入社。要蔵氏の奥様の社長を経て泰弘氏が1974年に代表取締役に就任。
主な事業は創業時からチョーク製造です。長年国内シェアトップになっています。

●概要(現在のHPより)
社名 日本理化学工業株式会社
住所
川崎工場 神奈川県川崎市高津区久地2-15-10 
美唄工場 北海道美唄市東明2条3-2-10
代表者 代表取締役 大山 隆久
会社設立 昭和12年2月13日
資本金 2000万円
事業内容
ダストレスチョーク・キットパス製造・販売
プラスチック成形加工
社員数 2023年12月現在:93名(うち知的障がい者67名)

●障がい者雇用の始まり
1960年当時の日本理化学工業は東京都大田区にありました。すぐとなりに障がい者施設があり、その先生から“二人の生徒を雇用してほしい”という依頼が同社の歴史を変えたのです。
その先生は根気強く3度も訪ね、“就職できないとこの二人は一生施設で過ごすことになる”という言葉に、大山泰弘社長(当時)は“かわいそうだ”との同情から、“せめて働く経験だけでもさせてあげたい”との思いで2週間だけ受け入れます。
ところが2週間たった時、受け入れ部署にいた社員から、“二人がいなくなると困る、これからも雇ってほしい”と言われたのです。
大山泰弘社長(当時)はお二人の真面目な働きぶりを見ていたこともあり、社員として雇用することを決断します。
大山会長は当時を振り返り、“決して障がい者雇用に対して社会的な責務を意識したわけではなかった”といいます。始まりは同情や優しさからであったとしても、この決断が日本における障がい者雇用の歴史において重要だったとのちの歴史から学ぶことができます。
以来、日本理化学工業の職場には障がい者がずっと働き続けています。

●渋沢栄一賞
2009年、同社は渋沢栄一賞を受賞しています。その年は個人2名と日本理化学工業1法人が受賞しました。
大山会長としては2個人が多くの寄付金をしている中、なぜ同社が受賞できたのか事務局に聞いてみたところ、“障がい者が20~60歳までの40年間を施設で暮らす場合、一人につき2億円の費用がかかる。日本理化学工業はすでに50年以上にわたって障がい者を雇用し続けることで国の財政に大きく貢献している”というものだったそうです。

●なぜ働くのか?
同社と言えば、大山会長の“障がい者は施設にいれば働かなくても生活できるのに、なぜ働くのか?”という疑問について、法事でお坊さんが答えた言葉が『人間の究極の4つの幸せ』となって今では多くの人に知られています。
「人に愛されること、人にほめられること、人の役にたつこと、人から必要とされること、の4つです。
働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのです」 と。
そして「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」

この言葉は、障がい者であるおとが理由ではなく、すべての人に共通した幸せとして多くの人々の共感を生み出しています。
大山会長はこの時の法事の経験から一人でも多くの障がい者を雇用するが同社にできることと捉え、現在に至っています。

●最後に
障がい者の働く環境に工夫を重ねた同社の歴史は、いつしかその存在自体に大きな重みを与えていたのです。
“一人でも多くの障がい者を雇用する会社になろう”大山会長の言葉を思い出します。

***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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