人のため世のため

世のため、人のためになり、ひいては自分のためになるということをやったら、必ず成就する」という松下幸之助氏の言葉は、経営をする上でよく考えられた深みのある言葉だと思います。

 でも私は、あえてこれを逆に考えてみたいと思います。

「自分のため、人のためを貫けば、やがて世のためになる。」

まず、自分の命を維持するための生理的欲求、身の危険を感じることなく安心して暮らすことの安全の欲求、これらは決して自分一人では満たすことの出来ない欲求ですが、この根源的な欲求が満たされていないにもかかわらず、「武士は食わねど高楊枝」などといって、世のために奔走することを人に求めることはできないと思います。これらの欲求が満たされて、はじめて人のために何かをすることができるようになるというのが正直な思いです。その上で、人のため、それが社員のためであったり、顧客のためであったり、とにかく、目の前の人のために精一杯の努力を続けていると、それが世のためになるのではないかと思うのです。

これはマズローの5段階にも共通するものです。第1段階の生理的欲求、第2段階の安全の欲求を満たすことが出来れば、第3段階の社会的欲求(所属と愛の欲求)に進みます。この社会的欲求を満たすためには、周りの人のために尽くすということが必要であり、それを実践すれば、結果として、社会的欲求が満たされます。

従って、それを続けていると世のためとなり、結果として承認の欲求を満たせることになります。ところが、承認の欲求を満たそうと思って何かをする、社会的欲求を満たそうと思って何かをすると、それは周りからは偽善とみられて、結局欲求を満たすことは出来ません。その意味では、人のために尽くした「結果」社会的欲求が満たされ、世のために尽くした「結果」承認の欲求を満たすことができるのです。この順番を間違えてしまうと、欲求は満たされず、欲求不満な人生を送ることになってしまうかも知れません。

このように考えると、人のため、世のための順番も大事な順番なのではないかと思えてきます。

(学会 法務部会 常任理事 弁護士山田勝彦)

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