No355記憶に残る言葉【株式会社サラダコスモ;中田社長】
今週は2015年8月に坂本ゼミ夏季合宿先のひとつとしてご訪問した岐阜県中津川市に本社がある『株式会社サラダコスモ』さんをご紹介させていただきます。中田社長にお話しをうかがいました。
●概要 (現在ホームページ情報をもとに一部加筆)
社名 株式会社サラダコスモ
代表取締役 中田 智洋
本社所在地 岐阜県中津川市千旦林1-15
創業 昭和20年12月
設立 昭和55年8月 株式会社設立
資本金 9,000万円
従業員数 864名(2024年5月期)
売上高 225億円(2024年5月期)
主要取引先 全国の生協・スーパーマーケット・ドラッグストア・市場・飲食店・他
事業内容 野菜づくり農業、教育型観光生産施設、酒類製造・販売、通信販売の運営、給食弁当、仕出料理の製造・販売
生産能力 もやし1,700,000パック/日、スプラウト250,000パック/日、カット野菜500,000パック/日、黒にんにく100㎏/日
2015年のホームページ情報では従業員数や売上金額は以下でしたので、この10年弱で着実に成長されていることがわかります。
従業員数 450名(正社員100名、パートアルバイト350名
売上 83億円(平成27年5月期)
●創業・事業転換
創業者は中田社長のお父様です。当初はラムネ製造を主として、副業的にもやしの栽培をしていました。しかし、ラムネは砂糖をたくさん入れ、もやしは漂白をして添加物を入れる現状を知った中田社長は、安全ではないラムネ・もやしの取扱い終了を決断します。そして安心安全なもやし作りの製造方法を求めて新たな歩みを始めます。
1973年、ついに漂白をせず添加物も不要なもやし製造方法を確立させます。それは農薬・化学肥料を使わず、ラジウムを含む温泉水とモンゴルの塩で育てた “安心安全な工場で育てたもやし”でした。
ちなみに環境問題を世の中に知らしめたレイチェル・カーソン氏が「沈黙の春」をアメリカで出版した時期は1962年、日本では1968年に政府が水俣病を認定しています。作家;有吉佐和子氏が「複合汚染」を出版した時期は1979年です。
個人的には、中田社長がこんなにも早い時期に安心安全な野菜の栽培を目指し技術を確立させていたことに驚くばかりです。
●ちこり栽培&ちこり村開園
ヨーロッパでは広く栽培されている“ちこり”を2006年から栽培開始。無農薬・無化学肥料を守り、オランダの生産者の協力を得た水耕栽培です。
また2007年から国内の農業活性化、高齢者の元気、地域の活性化を実現させるために“ちこり村”という教育型観光施設を運営しています。ここでは多くの高齢者が働いています。
この施設に教育を加えることで地域がよくなることを願っています。70種以上の料理がある人気のビュッフェレストラン、食を中心とした物販、そしてこの地域にゆかりのある偉人を紹介しています。
・「日本を美しくする会」の創唱者『鍵山秀三郎先生』
・発酵食品の権威『小泉武夫先生』
・地元岐阜県出身の江戸時代末期の儒学者『佐藤一斎先生』
●最後に
講演の最後に中田社長は “商売は金もうけて道半ば。施して人を育てて一人前”というお話をされました。
この表現を聞いた時、坂本先生からの学びの中で記憶していたことと共通していると感じました。
それは、経営者が引退するとき3種類あるという話です。
普通の経営者・・お金を残す経営者(あえて言えば自分のための資産)
良い経営者・・仕事(会社)を残す経営者(しかし末永く続くか不安は残ります)
立派な経営者・・人を残す経営者(人を育てることが企業の永続に直結します)
志と熱い想いを持っている中田社長は(ご訪問時)65歳をむかえ、人を育てることに最後のやりがいをもって臨まれているのだと感じました。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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