『ウルトラセブン』に学ぶ自分の生き方 ③金城哲夫の生き様
金城哲夫 きんじょうてつお 1938-1976 37歳没 沖縄県出身 脚本家(作品)=ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン 沖縄国際海洋博覧会(1975年)の構成演出
沖縄から上京して東京の高校に進学、友人たちと「沖縄慰問隊」を結成し民俗学への研究をしていました。 就職では脚本の特技から円谷特技プロダクションへ参画しウルトラシリーズの企画立案と脚本を手掛けます。 「ウルトラセブン」(1967年)に出てくる悪役のキングジョーという名前は金城の名前が由来になっています。
「ウルトラセブン」の作品では、主人公セブンが宇宙人に同情的な物語が多いのです。
第42話「ノンマルトの使者」のタイトルはノン=否定とマルス=軍神を合わせた合成語です。 地球の原住民であるノンマルトを宇宙からの侵略者である地球人が地表から追い出したという物語。これは当時の差別社会を反映していると言われています。 琉球国ウチナンチュ(ノンマルト)は日本人薩摩ヤマトンチュ(地球人)に支配され米国(セブン)に攻撃される。
1969年、円谷プロを退職し、愛する沖縄に帰郷し沖縄の文化を守るために生きます。 1972年、米国の領土だった沖縄が日本国に返還されます。 1975年、日本本土復帰記念事業として沖縄国際海洋博覧会が開催されます。
金城は海洋博の構成演出を任されます。日本や米国に沖縄をアピールする絶好の機会です。
海洋博の開催により自然環境の破壊が問題となりました。入場者数は予定を下回ったことで地元企業の経営不振に陥り、物価高と失業という後遺症を生みました。
金城に対して沖縄民から、本土迎合者として裏切り者の刻印を押され、激しく非難されます。 金城哲夫は、精神を病み酔って帰宅時に足を踏み外し2階書斎転がり落ちて、死亡しました。
金城哲夫を慕う人が、今も資料館(松風苑)となった書斎を訪問しています。 (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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