NHK大河「べらぼう」を仕事に活かす① 蔦屋重三郎の始動
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」をテーマに連載していきます。
主人公の蔦屋重三郎(1750-1797)は江戸時代中期の版元(出版会社)の経営者です。
遊郭の町である新吉原で生まれ、引手茶屋の喜多川氏(屋号:蔦屋)の養子となります。
引手茶屋の仕事に加えて、貸本業を始めます。
本姓は喜多川、本名は柯理(からまる)。通称は「蔦重」、「重三郎」といわれます。 号は蔦屋、耕書堂、薜羅館など。 商標は「富士山形に蔦の葉」とされました。 自らも狂歌のほか戯作の制作も行っており、「蔦唐丸(つたのからまる)」と号しました。
吉原五十間道に面した「蔦屋次郎兵衛店」を間借りし、書肆(本屋)「耕書堂」を営みます。
北尾重政、大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、北尾重政、鍬形蕙斎、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽など多数の作家、浮世絵師の作品刊行に携わりました。
耕書堂は、鱗形屋孫兵衛が中心となって刊行していた吉原細見『這婥観玉盤』の卸し、小売りを始めます。 吉原細見とは吉原に点在する妓楼やそこに所属する遊女のランク付け、芸者や引手茶屋などが掲載されていました。いわゆる風俗情報誌で、春秋の年2回刊行でした。
鱗形屋は、出版元に隠して重版したことが露見し、1775年に処罰され、吉原細見の刊行が困難となりました。
これを受け耕書堂は、『籬(まがき)の花』と題した吉原細見の刊行を始めました。生まれも育ちも吉原だった重三郎が刊行する吉原細見は他の追随を許さない充実度を誇り、「蔦屋」の版元としての地位を確固としました。
同年に版元として初めての出版した『一目千本』は、北尾重政を絵師に起用して刊行しました。遊女の名を列記した生け花を相撲の東西取組に見立てて競う趣向の遊女評判記です。
『急戯花の名寄』は、遊女の箱提灯に桜の花をあしらった挿絵とともに当該遊女の評を記した評判記で、素人のお調子者が吉原の路上でにわかに狂言を始めた吉原俄(よしわらにわか)を見物に来た客の購買需要を見込んで刊行されたものです。 (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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