NHK大河「べらぼう」を仕事に活かす⑥杉山検校(盲人職業)

 杉山検校は、鍼灸治療 視覚障碍者の活動の場を広げました。

 杉山 和一 すぎやま わいち(1610~1694年)は、伊勢国安濃津(三重県津市)出身の鍼灸師です。検校であることから杉山検校とも称されます。鍼を管に通して打つ施術法である管鍼(かんしん)法を創始したと伝えられています。

 鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設とされる杉山流鍼治導引稽古所を開設しました。これには鍼医として仕えた江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の支援を受けました。

 江戸での修行時代、石に躓いて倒れた際に体に刺さるものがあったため見てみると竹の筒と松葉だったため、これにより管鍼法が生まれます。別伝では、鍼術を何とか上達させたいと江の島弁才天(弁財天、江島神社)で21日間の断食祈願に臨み、満願の日、木の葉に包まれた松葉が身体に触れたことで思いついたとされます。躓いたとされる石が江島神社参道の途中に「福石」と名付けられて名所になっています。

 検校(1670〜1694)時代、61歳で検校となり、72歳で徳川綱吉の鍼治振興令を受けて、鍼術再興のために鍼術講習所である杉山流鍼治導引稽古所を開設します。そこから多くの優秀な鍼師が誕生します。

 当道座(盲人の自治的相互扶助組織の一つ)の再編にも力を入れました。それまで当道座の本部は京都の職屋敷にあり、総検校が全国を統率していたので、盲人官位の取得のためには京都に赴く必要がありました。和一は1689年に関八州の当道盲人を統括する「惣禄検校」となります。綱吉から賜った本所一つ目の屋敷は「惣禄屋敷」と呼ばれ、これ以後、関八州の盲人は江戸において盲人官位を得られるようになりました。

 没後(1694〜)                                              杉山流鍼治導引稽古所                                      糀町(こうじまち)から道三河岸、鷹匠町の後、 元禄6年(1693年)から本所一つ目弁財天社内に開設された。この場所は、杉山和一が徳川綱吉から拝領した約1,900坪の土地の約半分で、現在は江島杉山神社(東京都墨田区)となっています。                          (人を大切にする経営学会:根本幸治)

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