責任と自由
社員の自律を促す、ということは、ある意味で社員の自由を認めることとなります。 しかし自由だからといって、何をやってもいいということにはなりません。自由には責任がつきものだと言われるのは、そのためです。
自由と責任との関係はなかなか言葉で伝えるのは難しいところがあります。
自由なのだから、何をやってもいいと勘違いをする人もよく見かけます。
この自由と責任について、哲学者のハンス・ヨナスは次のような説明をします。(「ハンス・ヨナス未来への責任―やがてくる子どもたちのための倫理学」戸谷洋志著 慶応義塾大学出版会より)
まず責任についてです。
「責任とは傷つきやすい他者の存在への配慮である。」
「責任の対象と主体の関係は、さしあたり、弱者と強者の関係として捉えることができる。」これは、強者は弱者の存在へ配慮しなければならず、それが責任だという意味だと理解できます。坂本先生が、弱者を大切にしなければならない、というのはこの責任という意味に通じるものがあると思います。他者を大切にするというのも同じ文脈だと思います。
一方で、責任をもつものは、自分の知識と意思によって行為の選択肢から何かを選ぶという自由がなければならないと言われています。それは「選択の自由があるからこそ、人間はある行為をしないことができるから」だというのです。
つまり責任がある状態というのは、その人が他者を守ることも守らないこともできるときにのみ発生すると説明されます。つまり、選択肢がない場合には、責任を問いえないということになります。
自分の行動の選択肢を自由に選べるとき、他者のための行動を選択することが責任なのです。
自由とは、このように責任を負うものに認められるのであって、責任を負わない自由は、単なる我がままということになります。
自由が先にあるのではなく、責任が先にあるのです。
社員の自律とは、責任がある者に対してのみ認められるものであるべきです。
(学会 法務部会 常任理事 弁護士 山田勝彦)
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