福島駅から車で10分のクラロンの田中会長の講演
先週の11月8日、大同生命さんの寄付講座が法政大学大学院の坂本光司特別ゼミを兼ねて開催された。
福島駅から車で10分のクラロンの田中会長の講演。女性にお歳は失礼だが「93歳」。綺麗だ。頭の回転もシャープ。
綺麗なのは前向きな姿勢と障がい者への強い想い。私は、神様・仏様が「障がい者への熱い想いをありがとう。もっと頑張ってと丈夫で長生きさせる」と信じている。坂本教授も同様。
2年前の夏に坂本ゼミの夏合宿は、終了だったが、東京に向かっていたのをユーターンさせて福島への狂気の沙汰だ。
しかも日曜日の夕方に始めて田中会長とお会いした。講演の後、私が質問のトップバッター、3点質問したが見事な回答。
縁があるのだろう。合わせて3回、クラロンさんを訪問し何回もブログで応援の投稿をした。
クラロンさんの経営、 少子化で、児童学生数が毎年3バーセント減少している。同社の売り上げが3バーセント減少することを意味する。
さらに3.11の影響が尾を引いていると言う。3.11の際は被災企業にもかかわらず地元福島県に1000着の運動着を贈ったクラロンさん。
今後、クラロンさんは、介護施設向けに力を入れるという。
皆さんへ提案させていただく。
東北地方に限らず、首都圏、全国の学校や介護施設、病院、企業等で体育着、仕事着を使用したりする学校幹部や経営者・幹部はクラロンさんを採用して欲しい。
また、知人・友人等の社長、経営幹部に伝えて欲しい。
決定打はこれだろう。8日は私にとっては5回目の田中会長のお話。講演後、「3月20日がご主人の命日ですね。」「それでなかったら大賞の授賞式には参加しなかった。」
それから2年、社員は130名から134名に増えている。
「日本でいちばん大切にしたい会社大賞の報道大賞」があれば、差し上げたい毎日新聞の3月25日付け水説の中村秀明論説副委員長の記事だ。
「きょう3月20日は、創業者だった亡き夫の命日でもあります」
衣料製造販売会社「クラロン」(福島市)の田中須美子会長が、思いがけない偶然を口にして話を締めくくると、あちこちで目がしらを押さえる人の姿があった。
法政大学(東京・市ケ谷)で開かれた「第5回日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の表彰式のひとこまだ。
収益力が高いが、人員整理はしておらず、残業時間も短いなどの指標を基に受賞した13社の中にクラロンも選ばれた。
東日本を中心に1000以上の学校に運動着などを納めている。1956年の創業まもなくから、障がい者や高齢者を雇用し続けてきた。現在130人の社員のうち34人が知的障害を持ち、身体障がい者は3人いる。工場には12人の班長がいるが、5人は障がいがある。そして、社員の最高齢は78歳の女性営業課長だ。
「障がい者の自立の道を支えてきた」という自負が勘違いだと知ったきっかけを須美子さんは淡々と語った。
夫を亡くした13年前のことである。気落ちした須美子さんは、会社を続けていく力を失ったという。ある日、知的障がいがあり、自閉的な傾向を持った社員が近づいてきた。
彼には、何かの拍子に奇声をあげ、動き回る癖があった。しかし、夫が無人の倉庫に一緒に閉じこもり思い切り奇声を出し合うことで癖を治すなどして、生前の夫とは心を通わせる仲だった。
そばにやってきた彼は、須美子さんの肩に手を置いて言った。
「社長さん。頑張って」
この子たちを助けてきたのではなく、私は助けられているのだと須美子さんは気づいたという。
今、この国では経営者と働く者との間にはギスギスした対立や深い溝があるように思える。
働いた時間にかかわらず成果によって賃金を払う「高度プロフェッショナル制度」の導入など労働基準法の改正案をめぐる応酬も、その一端かもしれない。
「経済の活力を取り戻す」という大義名分と、「生身の人間を道具としか考えていないのか」という疑念は接点を見いだせず、不信感ばかりが募る。
クラロンの歩みを「できすぎた特異な事例だろう」と受け流すか、「簡単ではないが、あるべき経営だ」と受け止めるか。どちらに立つかで、見えてくる未来の姿はまったく違ってくるだろう。
須美子さんは語っている。「秘められた能力を見いだしてあげるのが私の役目です」と。((毎日新聞 中村秀明論説副委員長)
このときに福島県から、マルトさん、こんのさんも表彰されている。田中会長の後に講演されたアポロガスさんも大賞候補だ。
紺野社長、地域の銀行員等から情報があるのだろう。他社の訪問でも福島駅に歓迎ののぼりががあがる。
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