福島県川俣町の「斎栄織物」さん
先月2月24日に福島県川俣町の「斎栄織物」さんに法政大学大学院 坂本光司教授と数名のゼミ生で視察した。
2年前に、TV東京系の「夢職人」で放映され覚えていた企業。
2012年デザイナー桂由美が世界を驚かせるドレスを発表した。
それは世界一軽くて薄いウェディングドレス。生地を作ったのは福島県川俣町の社員17人の中小企業「斎栄織物」。
「社員が家族に誇れる会社」の齋藤社長の言葉が印象に残った。
ネットから。
福島県「川俣(かわまた)シルク」
絹織物で地域振興に貢献 齋藤(さいとう)泰行(やすゆき)さん(72歳)
「新しい製品を開発するなど考え方次第でやりようはある。“川俣シルク”をアピールして、地域の底上げにつなげたい」
伝統産業「川俣シルク」の復興に貢献
福島県の北部、阿武隈山(あぶくま)系の山間にある川俣町(かわまたまち)は古くから絹織物の産地として発展してきた。
この地で生まれた齋藤泰行さんは、1952(昭和27)年に父によって創業された「齋栄(さいえい)織物株式会社」の2代目社長だ。
2016(平成28)年11月の秋の叙勲(じょくん)で伝統産業である「川俣シルク」の振興で「旭日双光章(きょくじつそうこうしょう)」を受け、続いて同年12月には「第2回ふくしま産業賞」(ふくしま経済・産業・ものづくり賞)の最高賞である「知事賞」を受けた。
受賞の際の齋藤さんの郷土愛あふれるコメントが印象的だ。
「かつては200社を超えていた町内の業者も、いまは10社ほどになってしまいましたが、製品開発など考え方次第でやりようはある。
製品のよさを知ってもらい、地域の底上げにつなげたい」(叙勲に際して)
「齋栄織物ではなく川俣シルク、川俣町をアピールしていきたい」(ふくしま産業賞県知事賞に際して)
技術面の具体的な成果では、2009年に髪の毛よりも細い糸を使って世界一薄い絹織物の開発に成功、2012年には世界で最も薄い絹織物「妖精の羽(フェアリー・フェザー)」で第4回ものづくり日本大賞の内閣総理大臣賞に輝いている。
東日本大震災では工場の壁の崩落や設備の位置ズレなどの被害があったが、翌日には、一部の従業員を除いて全員が出社したという。
「みんなが一丸となった復旧活動で、3月14日には全面稼働にこぎつけることができました。現在は売上げ実績も震災前以上に順調に伸び続けています」
独創技術で絹織物産業の再興・存続へ
幼いころは、家業への思いはそれほどでもなかったが、「長男ならば家業を継いで欲しい、という父の強い思いにうたれた」という。
大学卒業後に福井県の繊維会社に就職して2年半ほど住込みで修業し、1969年に齋栄織物に入社した。
そして半世紀近くが経過し、常務を務める長男の栄太(えいた)さんとともに17人の従業員を抱える会社経営の指揮を執る日々だが、先述のように地域振興にかける思いは人後に落ちない。
さらに、福島県織物同業会会長、福島県絹人繊織物(きぬじんせんおりもの)構造改善工業組合理事長といった公職にある立場からの発言は、グローバルな視点をふまえた責任感にあふれている。
「どうも震災復興の視点だけで語られがちですが、実は福島県の絹織物産業は最盛期の250社から約20社に激減しています。
安い外国製品や化学繊維によって打撃を受け、原料の生き糸いとも国産は日本の絹需要量の0・2%に過ぎず、中国やブラジルなどの外国産が大半です。
このような状況下で日本の絹織物産業を存続させるには、他国の追随を許さない技術開発が必要で、それは震災前から追及されてきました。とくにこの点を強調しておきたいのです」
先に紹介した世界一薄い絹織物「妖精の羽」は同社の薄地(うすぢ)織りと先染(さきぞめ)織物の技術を組み合わせた独自技法の成果だ。先染織物とは、あらかじめ染色した糸を使って織るもので、布を後染(あとぞめ)するよりも高度な技術が必要だが、玉虫色の風合いやオーロラのような光沢(こうたく)と質感が実現できる。
「当社のシルクはストールやスカーフ、和装裏地だけでなく、気象衛星のパラシュートや光ファイバーのジョイント部材、iPS細胞の研究用資材などに使われており、潜在的な可能性はまだまだ広がるでしょう」
若手の後継者たちも戻って未来は明るい
川俣町では、2017年3月末をもって山木屋(やまきや)地区の原子力災害対策本部による避難指示が解除されるが、齋藤さんはいう。
「震災後の5年間はみんな必死で頑張ってきたわけですが、6年目からは本腰を入れて地域振興に取り組めるようになります。同業者でも外に出ていた3人の若手後継者が戻ってきました。川俣シルク、川俣町の未来は明るいですよ」
穏やかな口調には郷里への熱い思いが込められている。
ネットの情報から写真は検索できないがコメントだけ掲載する。
原料の生糸は大半が中国やブラジルからの輸入品。高品質の生糸を確保することで織機の糸切れが少なくなり50台の織機を3~4人の従業員で管理できる
常務の齋藤栄太さんとパソコン画面のシルク製品をチェック
機械に糸を設置するまでの準備など人の手による仕事も多い
縦糸と横糸を織りこむ織機への糸のセットには熟練の手技が 織りあがった絹布はすべて端から端まで光沢などを検品する
オーロラの輝きをもつ極薄の「妖精の羽(フェアリー・フェザー)」 同社の絹織物を使った衣裳はNHK大河ドラマでも使用された(この2枚は「道の駅・川俣」の「おりもの展示館」で撮影)
「妖精の羽」でものづくり日本大賞の内閣総理大臣賞を受賞(2012年)
1952年創業のこの正門を入ると、1 ページのような織機から稼働音が響く
「綾瀬はるか」の大河ドラマの衣装は同社製である。
ミュージカル「エリザベート」の衣装も手がけている。
同社の理念経営の中には、「夢は、パリのオペラ座のような伝統ある劇場で、弊社の生地が舞台衣装として使われることです。」
夢の実現は近い。
坂本教授は来月に70歳になり、来年の3月で定年になる。
齋藤社長の年齢はその上だ。
共に、意気込み、行動が凄い。
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