「HITOYOSHI」

商業界から出版されてベストセラーからロングセラーになっている「さらば価格競争」20社の中に「HITOYOSHI」がある。
最近、師匠の法政大学大学院 坂本光司教授が同社を紹介している。
裏話を紹介する。

・吉國社長、経営危機の時に博多のファンド「ドーガン」に2度断られたが屈していなかった。必ず貸してくれると信じていて3回目に融資を引き出す。
他の金融機関も続く。

・東京オフィス、南青山にあるが豪華ではなく質素だ。本社機能は質素が鉄則だ。

・「さらば価格競争」の執筆対象候補企業をあげた直後にTV東京系列の「夢職人」を見て候補にあげた企業だ。
番組に中小企業大学校の立て看板が写り、坂本教授が訪問すると直感した。

・吉國社長、地域への最大の貢献は雇用であると言い切った。

・取材は東京が12月、熊本が1月末、大雪で1日ずれていれば工場が休みで取材ができなかった。九州でも雪が降るんだと思った。

・「さらば価格競争」に書いたが、ワイシャツ1枚当たりの全国平均は3292円であるが、栃木県の5380円から宮城県の2104円まで都道府県格差がある。

以下、無駄のない坂本教授の紹介。

HITOYOSHI~地域の雇用を守るために立ち上がる【第143回】
熊本県の人吉市に「HITOYOSHI」という社名の中小企業がある。

主事業は高級ドレスシャツの生産・販売である。
製品の90%は国内外のブランドメーカーに対するOEⅯ生産で、残り10%は自社ブランド商品で、販売は高級百貨店からの受注販売である。
社員数は110名。100名は人吉市のある本社工場、10名は東京青山の東京支店にいる。

同社の設立は、2009年と7年前であるが、これには訳がある。
その訳とは、同社は元々、上場アパレルメーカーの100%出資の生産子会社であったが、その本社が2009年に倒産してしまったのである。

通常なら、そのまま生産子会社である工場を閉鎖するのであろうが、当時、生産子会社の社長を務めていた現工場長の竹長一幸氏や、当時、本社の取締役であった現社長の吉國武氏らが中心となり、地域雇用を守るため、事情を察したある投資家の支援を得ながら、ⅯBOで立ち上げた受け皿会社なのである。

当時、国内のシャツメーカーの大半は、生産や調達の海外現地化の拡大を進めていたが、二人は、その限界を感じ、あえて「メイド・イン・ジャパン」にこだわる戦略をとった。このため、生地はもとよりボタン等も一級の素材(ボタンはプラスチックではなく貝)を使用し、手作りで、かつ多品種小ロット、つまり「少々高くてもいいシャツを着たい…」層にターゲットを絞ったのである。

また生産や販売も、余裕がない中、在庫を積み増してしまう見込み生産ではなく、ブランドメーカーからのOEM生産や国内高級百貨店からの受注生産、つまり「必ず買ってくれる価値あるシャツづくり」にこだわったのである。

ちなみに、同社の商品アイテムは数百以上あるが、その大半の生産ロットは5枚から20枚程度、中には1枚物もあるという。また気になる価格であるが、市販では1万円から2万円のシャツが多いという。

ともあれ、こうした新たな経営戦略が市場の高い評価を受けることに成功し、この間、同社の業績は右肩上がりに高まっている。社員数もピーク時150名、倒産直前には70名にまで減員していたが、現在は110名にまで増加し、地域雇用を下支えしている。

先日、同社の隣にある中小企業大学校人吉校で講義のため、人吉に行く機会があったので、講義の前、訪問させていただき、竹長工場長の案内で工場内を見させていただいた。 
空調が効いた明るい美しい工場内では、約100人の社員(90%は女性)が、縫製作業や裁断作業をしていたが、正直、アジアの企業ならともかく、これほど多くの女性社員がミシンを踏む光景を国内では久方ぶりに見た。

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