株式会社 柏屋【No44いい会社視察2017/9/3】
今回は2017年9月に坂本ゼミ夏合宿先のひとつとして訪問させていただいた『株式会社 柏屋』さんをご紹介致します。当日は5代目;本名善兵衛社長にお話を伺いました。
柏屋さんと言えば“薄皮饅頭”となりますが、同社の『青い窓』の存在は多くの人に知ってほしい活動です。是非この機会に興味をもっていただければ幸いです。
https://www.usukawa.co.jp/
概要
会社名 株式会社 柏屋
所在地 〒963-8071福島県郡山市富久山町久保田字宮田127番地の5
代表者 代表取締役五代目 本名 善兵衛(幹司)※平成24年2月14日襲名
事業種目 菓子製造及び食品加工並びに販売(和菓子・洋菓子・喫茶)
創業年 1852年(嘉永5年)
法人設立 1952年7月(昭和27年7月)
資本金 4,600万円
販売エリア 福島県内主要都市、東京、仙台、那須、JR、SA、PA
●本名家と5代目襲名
同社の創業は1852年、黒船が日本に来た前の年です。2018年には167周年を迎え長い歴史があります。
本名家には200以上の家訓があると聞いたことがあります。記憶の中で印象的なものとして「代々初代」「今日が創業」「お菓子を買うのが目的でなく,柏屋に行くのが目的になるような商売をする」というものがあり、家の在り方を考えさせられる大きな存在です。
現社長の本名 善兵衛氏は2012年に5代目を襲名されました。襲名の手続きは簡単ではないようです。特に男性は難しいようで、家庭裁判所へさまざまな資料を提出して戸籍を変える手続きがなされるということでした。
本来は震災のあった2011年3月に改名の挨拶を予定していましたが延期をされています。
『青い窓』とは1958年に始めた、子供たちの詩集を集めたリーフレットです。柏屋の本名洋一さんの幼なじみだった4人が集まって始めました。
特に詩人だった佐藤浩さんは1941年に視覚障害を患い、徐々に視力が悪くなっていく病におかされていました。ついに1948年に完全に失明してしまいます。失明の直前に詠まれた詩があります。
“母そはの 母の御顔の見納めと 残る視力を凝らし見守る”
何度詠んでも胸が詰まる思いがします。
そのような想い抱いて、子供たちの成長の場を作りたいと『青い窓』は続いています。現時点では60年目579号を数えています。
現代では詩を書く機会は減っていますが、『青い窓』は子供が自ら育とうとする力を支える活動を担っています。
また、本名社長がたまたまある結婚式で隣に同席された米国人ご夫妻からの申し出がきっかけで、『青い窓』の英訳が決定しました。今では10か国語の翻訳の希望があるほどになっています。
ちなみに六花亭の『サイロ』は姉妹詩で、『青い窓』の1~2年後に始まっています。
●朝茶会
同社のユニークな取り組みとして朝茶会があります。朝茶会は1974年に“お茶でも飲んでいって”と声をかけたことがきっかけ。毎月1日の朝6時から8時まで開催しています。
当初は焼きおにぎりやトウモロコシをふるまったそうです。
今では460回を超えて開催していて、毎回200~400名が集います。座席数は40席、必ず相席になるだけではなく、多様な年齢層のお客様が同じテーブルになるように気を配っているそうです。
●日本三大まんじゅうサミット
2016年には「第1回日本三大まんじゅうサミットin Fukushima」を開催し、“日本三大まんじゅう宣言”を採択。和菓子業界全体を盛り上げることを目的としています。
『志ほせ饅頭(塩瀬総本家)』(東京)、『大手まんぢゅう(大手饅頭伊部屋)』(岡山)、『柏屋薄皮饅頭(柏屋)』(福島)が認定されています。
●最後に
2011年の震災では店舗の被災こそありませんでしたが販売において大きな落ち込みがありました。そんな中、北海道の六花亭さんが2か月後の5月には六花亭の26店舗で柏屋の薄皮饅頭を製造・販売する支援を行っています。
2017年の時点では2011年の震災前の水準にはもどっていないとのことでした。
現在和菓子業界は縮小傾向にあると言いますが、厳しい状況だとしても、柏屋さんは業界や地域に深く根差してこれからも愛されていくために日々努力を重ねていくことでしょう。
***補足***
この投稿では2012/4~2018/3までの6年間法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室で経験した【いい会社視察】・【プロジェクト】・【授業で学んだこと】を中心に、毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(桝谷光洋)
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