明るい日本の将来に向かって

あの日の前日まで仙台に居た母親と、あの日の翌々日から、ひたちなか市に行く予定だった僕と。ほんのチョッとの事で、僕達家族は難を逃れる事が出来ました。

幸いにも僕の住む静岡では、当初は目立った被害も無かったように思えました。
ところが、週明けの月曜日から完全に自動車メーカーの組み立てラインがストップしており、現在もまだ生産は始まっておりません。自動車産業は本当に裾野が広く、静岡県の製造業に大打撃を与え続けています。
まだまだ日本の基幹産業であるこの分野の停滞は、長い経済の停滞を生みかねないのです。世界の先端を走っていたハイブリッドや電気自動車の遅れは、日本にとっても大きな痛手であり、最小限に食い止めなくてはならないのです。

震災の被害地では、もっとスピーディに進んでいるはずの災害復興も、原子力発電所の甚大な被害によって、大きな遅れをとっており、農業、漁業等に及ばす影響は想像をはるかに超え、TPPへの参加の調整どころか、農漁業の存続さえも危ぶまれる事態となっております。

しかしながら僕達は、もう下を向いて自粛している場合ではないのです。
悲しみを心の底から味わって、涙が枯れるまで泣いたら、もう笑顔で前に歩き出さなくてはならないのです。

特に東京以西に住む僕達が頑張らなくては、一体誰がこの一大事に日本を引っ張っていくのでしょうか?

会社に内緒で秋保温泉に行っていた僕の母親は、震災直後は会社の誰にもその事が言えずに、TVにかじりついて「もし1日日程がずれていたら・・・」と震えておりました。
しかしながらもう今では「北海道ツアーが3泊4日で3万円だって!!」と、すっかり次に向けて夢を膨らませております。

これで良いのだと思います。僕らは生きている以上は前を向き続けなくてはならないのですから。

先日、M2の皆さんの卒業式に出席する為に東京駅に降り立って、行き先案内板の明かりがすべて消えているのを見て驚きました。
日本の中心の東京駅に人が居なく閑散としているのを見て、「これじゃいけない」と思いました。

元気な日本の首都として、「日本は大丈夫だよ!」って世界にアピールしなくてはならないと思いました。

本当に大変なのは、これからです。
「超えられない試練は、神様は与えないから。だから「もっち」(僕)なら出来る!」
いつも辛い時には、僕の師匠でありますプロスノーボーダーの岸正美さんから掛けていただいた言葉を繰り返します。
「俺なら出来る!」って。

写真は、震災前日に食べた母親のお土産の、秋保温泉「さいち」の惣菜弁当とおはぎ。本当に美味しかった!!

このお弁当もおはぎも、僕らには作る事が出来ないんですよね。
僕らには買って食べる事しか出来ない。
それが、それぞれに与えられた役割なんですよね。

だから僕らは自分の役割を理解して、自分が出来る事を、出来るだけ沢山やっていかなくちゃならないんです。

一段と輝ける日本へ。もうはじめの一歩は踏み出されています。

もうすぐM2の望月でした。

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