ともに働きたくなる人を大切にするいい会社:日本理化学工業
“人を大切にする会社”を、坂本先生の著書で学び直しています。
今回は、“日本理化学工業(ダストレスチョークやペイント製品などの製造販売)”についてご紹介したいと思います。
(“日本理化学工業”のホームページ:https://www.rikagaku.co.jp )
1. “障がい者雇用のはじまり”
- わたしたちみんなでカバーしますから -
●“わたしたちみんなでカバーします”から‥
今から60年前、1人の養護学校の先生が早朝から会社の門前で待っておられました。「卒業予定の2人の障がい児を採用頂けないでしょうか?」障がい者を一生幸せにする自信がなかった先代社長は、最初は無理ですと断りましたが、諦めきれずに訪問される先生に心打たれ「1週間の就業体験だけなら」と了承しました。
子どもたちは喜んで、毎朝7時には玄関で待っているほどでした。1週間の就業体験を終える前日、社員全員が先代社長をとり囲みました。「あの子たちを正規の社員としてどうか採用してあげてください。あの子たちにできないことがあるなら、私たちみんなでカバーしますから。」朝から終業時間までほんとうに幸せそうな顔をして一生懸命働いている子どもたちの姿をみて、社員みんなの心が動いたのです。
これが、障がい者雇用の初まりでした。
2. “社風”を伝えるエピソード
- 人びとに必要とされみんなが幸福を感じられる会社 -
”日本理化学工業”の社風を感じる”エピソード”をお伝えしたいと思います。
●生きる場を提供する
先代社長は、障がい者を雇用したけれど、最初は“毎日働くよりのんびり暮らしたほうが幸せではないか”と思っていました。その疑問をお坊さんに尋ねてみたとき、「“幸福”とは、①人に愛されること、②人にほめられること、③人の役にたつこと、④人に必要とされることです。②~④は、働くことで得られるのです。」と言われました。
そのことをきっかけに「人間にとって“生きる”とは、“必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立すること”なんだ。」と先代社長は気づきます。「それなら、そういう場を提供することこそ、企業の存在価値であり社会的使命なのではないか。」以来60年、“日本理化学工業”は、積極的に障がい者を雇用し続け70%を超える雇用率までになったのです。
●工程を人に合わせる
障がい者を雇用したけれど、最初のうちはどのように仕事を教えればいいかも分からず、苦労の連続でした。障がい者1人ひとりとつき合っていくうちに、“何ができて、何ができないか”ということを少しずつ理解していきました。そして、1人ひとりの状態に合わせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていき、その子たちが精いっぱい仕事ができるようになりました。
「障がい者の能力に合わせて作業を考え、向いてる仕事を与えれば、その人の能力を最大限に発揮させることができ、決して健常者に劣らない仕事ができるのです。」
●どうぞコーヒーをお飲みください
坂本先生が先代社長と応接室で面会をしているとき、「どうぞコーヒーをお飲みください」と出してくれたおばあさんがいました。「彼女が、最初に採用した障がい者の社員の1人です。60歳で定年を迎えたあと、嘱託社員として雑務をやってもらっています。」
彼女が勤めはじめてから50年にもなります。坂本先生は、永きにわたり彼女をあたたかく見守りともに働いてきた同僚や上司の方がたの年月の重さを一瞬のうちに想像し、涙をこらえることができなかったそうです。
帰りぎわ工場を見たら、先ほどのおばあさんがお茶出しをしたあと一生懸命チョークをつくっていました。
3. “私が感じていること”
- 自分にも“できることがある” -
●自分にもできることがある‥
坂本先生は、常々「私たちができない正しいことをしている人がいたら、私たちがやるべきなのは“その人を支援する”ことである。決して傍観者であってはならない」と言われています。また、「正しい企業のために私たちができることのひとつは、“その企業の顧客になる”ことである。」とも言われます。
そういう視点で考えれば「自分にもいろいろできることがある。」と思うのです。皆さんも、同じチョークを買うなら“日本理化学工業のチョーク”を買われるでしょう。自分自身が正しいと思っても同じ行動ができなければ、その行動をしている人や企業を支援することが大切だと常に意識したいと思います。
“日本理化学工業”は、障がい者を雇用し続けて60年。今では、障がい者が全社員の70%を超えるほどになっています。「当社では、ユニークな新商品の開発を常に心がけています。そのことを通じて、“障がい者を雇用できる受け皿をさらに広げたい”と考えているのです。」
人を大切にする経営学会_人財塾2期生(合同会社VIVAMUS)中村敏治
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