No170記憶に残る経営者の言葉70 社会福祉法人 藍(東京都世田谷区)竹ノ内 睦子理事長(当時)
今回は2012年と2013年に法政大学大学院の坂本研究室の視察から『社会福祉法人藍』の竹ノ内睦子理事長(当時)の記憶に残るお話をご紹介致します。
現在は障がい者の方々に働く場(藍製品の製造販売、フレンチレストラン運営)を創造しています。その活動の根幹となるお話となります。
竹ノ内さんは1941年鹿児島生まれです。
校長であった父は満州へ出張中に交通事故にあい、看病のために満州へ渡った母は看病疲れから帰国することなく亡くなってしまいます。9人兄弟の末っ子として生まれたばかりで生後6か月だった竹ノ内さんは、当時20才の長姉に育てられました。
中学生になった頃、長姉のところから何の相談もなく京都の兄宅に引き取られることになります。思春期の竹ノ内さんは“捨てられた”と感じたそうです。
“兄宅にはすぐ上の知的障がいをもつ兄も暮らしていて初めて会った”
兄は京都の名門大学の付属中学に入らせてくれますが、
“障がいのある兄の存在を隠し、お嬢様としてふるまい生活している自分に納得できなかった”
“環境に甘えずに自分を鍛えなければならない”
そう考えた竹ノ内さんは高校1年の時に自ら退学し、寄宿施設のある高校に入り直しています。その高校は竹ノ内さんにとって大きな影響を与えています。
“神は誰の前にもできないことを事柄として現すことはない。現わされたことすべては乗り越えられるものだ”
“積極的に生きるか、消極的に生きるかは自分次第”
竹ノ内さんは1964年に結婚。
“義父宅には血縁のない障がい者1名がいて、新婚でありながら他人がいる共同生活を経験”
“3人目のお子さんを妊娠中に自身の脚に癌がみつかった”
絶望の中、何度かの手術を経て回復しています。
1980年には世田谷区の婦人大学に主婦として学ぶ学生となり、“ここで知り合った障がいを持つ女性が、仕事がしたいと言ったことに衝撃を受けた”
そこから、6畳一間を借りた藍工房の歴史が1983年始まっていったのです。
竹ノ内睦子さんの人生は多くの人を惹きつけ、聞くものの心にまっすぐ届くその語り口は今も記憶にあります。現在の理事長はフレンチレストラン;アンシェーヌ藍のマネージャーだった大野圭介氏にバトンタッチされ、新たな社会福祉法人藍の道を歩んでいます。
以前に投稿した記事は 社会福祉法人 藍【No57いい会社視察2012/5/26、2013/5/31】 です。このブログ内を検索してご参照ください。
***補足***
この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)
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