No180記憶に残る経営者の言葉80 盛高鍛冶刃物株式会社(熊本県八代市;刃物製造販売業)盛高 経博社長

今回は2014年2月に坂本ゼミ春合宿先のひとつとして訪問した『盛高鍛冶刃物株式会社』さんから、記憶に残る経営者の言葉をご紹介致します。27代目の盛高経博社長と副社長であり海外担当の奥様にお話を伺うことができました。

http://moritakahamono.ocnk.net/

盛高家は1293年鎌倉時代に福岡県太宰府にある宝満山の刀工・金剛兵衛源盛高を祖師として誕生し、1632年に現在の熊本県八代市に移ります。九州三大祭である妙見宮大祭の刀工となり現在27代目700年以上の歴史があります。

盛高家では一貫製造にこだわっています。幕末期に、“刀工で生計を立てるべからず”の家訓を定めてからは、家庭、園芸、農林用の一般刃物製造を生業とし現在に至ります。

盛高経博社長は高校卒業後自衛隊に入隊。

“都会へのあこがれがあった”

“自衛隊は親の仕送りが不要で、公務員としてすぐに給与が入り、家業を継ぐ前にうってつけだった”

“当初両親とは3,4年間の約束だったが延期を繰り返し7年目を迎え、さらに延期を親に伝えようと2,3年ぶりに実家に帰ったところ、親から継ぐよう言われ25歳で自衛隊を辞めた”

“後を継いだ当初は修行の身として給与はなかったが3年経ち貯金も減ってきたため給与をお願いしたところ、本業では借金があることを初めて知った”

父が継いだ頃は高額でも飛ぶように売れた日本刀は売れなくなっており、ステンレスなど便利で安価な製品ニーズが高まって業績は落ち込んでいたのです。

そんな中、

“逆に経営のやり方次第で将来の可能性がある”

“ステンレス包丁が主流の中、1本1本手打ちで作る高品質な鋼(はがね)マーケットは必ずあると考えた”

“日本の料理人には片刃が一般的ですが同社は両刃にこだわっている”

“両刃は左利きの多い海外では一般的でしたが日本でも両刃が使いやすいと考えた”

家業を継いで約10年経った2005年、英語が得意だった現社長の奥様が海外向けにホームページを英訳したことが大きな転機となっています。

“2007年にハワイ在住の愛好家の目にとまりホームページに海外販売の機能を加え、2007年11月にはデンマークの刃物店と卸契約。カナダ、アメリカ、ロシア、ドイツ、スイス、オーストラリア等、現地刃物店への卸販売が拡大”

“2011年アメリカのウォールストリートジャーナル紙に、コンテスト優勝シェフお勧め包丁5本の中の1本に選定されたことで大きな反響を呼んだ”

以前は約1か月だった納期はご訪問時では、海外で7,8か月、国内で1年10か月待ちになっていました。

2010年8月同社発行の鍛冶屋通信第1号に、最近社長が読んだ本として「ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社」著;坂本光司先生 についての記載がありました。

“掲載されていた会社は利益よりも奉仕を先に考え、社員を大切にし、お客様を幸せにすることを一生懸命に考えていた。心の片隅にでもこのような気持ちを持って仕事をしていきたい”と書かれていました。

以前に投稿した記事は 盛高鍛冶刃物株式会社【No38いい会社視察2014/2/23】 です。このブログ内を検索してご参照ください。

***補足***

この投稿では「法政大学大学院 政策創造研究科 坂本研究室」や「人を大切にする経営学会」での経験をもとに毎週火曜日にお届けしております。個人的な認識をもとにした投稿になりますので、間違いや誤解をまねく表現等あった場合はご容赦いただければ幸いです。(人を大切にする経営学会会員;桝谷光洋)

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