論語に学ぶ会
論語を学び始めて18年。
とは言っても、月に1回2時間の講義に出席しているだけなので胸を張れるものではありません。しかしそんな私でも、18年続けて来られたのはやはり論語に魅了されているからでしょう。
論語は、学而第一から堯曰第二十までの20編509章からなっています。
学而(がくじ)やら堯曰(ぎょうえつ)やらなんだか難しそうですが、実は意味はありません。
その編の書き出しの2文字からとって付けてあるだけです。
孔子の弟子たちが孔子死後何年も経った後に、『孔先生が生前こんな事を仰っていた、あんな事をなさっていた。』という逸話を集めて編纂したので時系列もバラバラです。
逸話自体も殆どが短文なので、決して最初から読む必要は無く、どの章から読んでも楽しめます。
毎月の講義では15程度の章を読み進めながら何年もかけて完読しますが、不思議な事に今自分が思い悩んでいる事についてのヒントとなる言葉や、調子に乗った行いや考え方を諫める言葉に毎回出会えます。
いくつかを紹介いたしますと、
●人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざることを患うるなり
通釈「人が自分のことを知ってくれない!?などと思い患う暇があったら、 自分はどれ位人のことを知っているのだろうか!?を反省してみなさい!」
●巧言令色(こうげんれいしょく)鮮(すくな)し仁
通釈「口達者でやたらに愛想のいい者は、いたって実(じつ・まごころ)はないものだ」
●君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る
通釈「できた人物は損得よりも善悪を優先し、下らない人物は善悪よりも損得を優先するものだ」
など、読むたびにいつも自省させられます。
前述したとおり、論語は作者自らが記した格言集ではないため、孔子の弟子たちがチャーミングな孔子を懐かしみながら編纂したと思われる章もありますので紹介して終わりとします。
●子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)説(よろこ)ばず。
夫子(ふうし)之(これ)に矢(ちか)いて曰(のたま)わく、予が否なる所の者は、天(てん)之(これ)を厭(た)たん。天之を厭たたん。
拡大通釈「孔子様が弟子達に内緒で、衛の殿様のお妃で(妖麗で悪評高い)南子に会いに行って来た。帰った所を弟子の子路に見つかって、「せっ、先生!まさかあの南子に会いに行って来たのではないでしょうね!?」と詰め寄られた。子路のあまりの剣幕に驚いた孔子様は「私は天に誓ってやましいことはしていない!イヤラシイことはしてないってば!!」と、必死に子路をなだめた。」
※すべての通釈は『論語に学ぶ会』主催、高野大造先生の通釈を引用しています。
人財塾4期生 向陽信和株式会社 代表取締役 古澤一晃
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