「クリスマスケーキがつないだ絆」
人財塾4期生の増原敏夫です。
2回目のブログ投稿がクリスマス直前という事もあり、人財塾4期生の全体研究でまとめた書籍「感動が人を変える」で、私が担当させていただいた、鷹取醤油株式会社 鷹取社長のクリスマスケーキにまつわるお話を紹介したいと思います。
鷹取社長が家業であるお醤油屋さんを継ぐために、当時勤めていた信用金庫を退職することを決めた時、奥様以外の家族、同僚、先輩など周りのほとんどの人が反対した中で、唯一背中を押したのが、 鷹取社長の信金時代の先輩で、一足先に独立起業されていたAさんでした。Aさんは独立の際、鷹取社長を事業に誘うほど仲が良く、Aさん、 鷹取社長がそれぞれ信金退職後も家族ぐるみの付き合いを続けていました。
そんなAさんとAさん家族に不幸が訪れたのは、平成4年12月22日の夜のこと
5歳と3歳、二人の娘さんを残してのAさんの急逝でした。
Aさんの訃報に鷹取社長もすぐに駆けつけ、お通夜・葬儀の手配、事業の片づけなど、年末であることも合わさって、Aさんに関わる全ての人がバタバタと動いていました。
そして12月25日の葬儀当日、上の娘さんが鷹取社長に言いました
「私がいい子にしていなかったから、今年はサンタさん来なかったの?」と
その言葉に鷹取社長は涙し、残された二人のお子さんに誓いました。
「これからは、おじさんがサンタさんになってやる!」と
そして、この時から20年間、毎年、鷹取社長と奥様はAさんの命日に合わせてAさん宅にケーキを届け続けます。
転機が訪れたのは平成24年、今度はAさんの奥さんが亡くなりました。
その年の12月22日、Aさんの家には明かりが灯っておらず誰も居ない状況で、玄関にそっとケーキを置いて鷹取夫妻は帰りました。
次の年の12月22日もAさん宅には誰もおらず、ケーキを置いて帰りました。
2年続いたことで、奥様が鷹取社長に尋ねます「来年はどうするの?」と
鷹取社長は答えます「もう一年だけ続けよう」と
この時、鷹取社長の考えていたことは・・・
Aさんが先に退職された時、Aさんに事業に誘われながら断った時、自分が信金を退職する時、Aさんが亡くなった時・・・自分とAさんの絆は、何度となく途絶えそうとなりながらも何とかつながってきた、ここでサンタさんを辞めてしまっては、これで最後、もう繋がることは無い、それは悲しくて寂しい、でも二人のお子さんも大人になり迷惑かもしれない。
だから次が最後、もう一年だけ・・・
年が変わり、鷹取夫妻のもとに一通の手紙が届きました。
それはAさんの娘さんからの結婚式の招待状でした。
鷹取夫妻は、Aさんの娘さんが連絡をくれたことに喜び、子供の頃から見守ってきた娘さんが結婚することを自らの子供の事のように喜びました。
迎えたAさんの娘さんの結婚式当日
鷹取社長は正装に身を包み、奥様も着物を身にまとい髪を結い上げて参加しました。
煌びやかな披露宴会場、そこで鷹取夫妻は言葉を失います。
案内された席、そこは本来Aさん夫婦が座る席、花嫁の両親の席だったのです・・・
披露宴の間中、鷹取夫妻の目から涙が止まることはありませんでした。
スーツはよれよれになり、着物は乱れ髪もぼさぼさになりながら・・・
明日22日はAさんの命日、あの時誓った「サンタさんになる」という鷹取社長の優しさはAさんの娘さんたちに確かに伝わり、今も鷹取社長とAさんの絆をつなぎ続けています。
人材塾4期生 有限会社ネクサス(野波税理士事務所) 増原 敏夫
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