NHK大河「光る君へ」を仕事に活かす(源氏物語) 明石の君
光源氏が須磨に左遷させられた時代の愛人で、源氏の一人娘(明石の中宮)を産んだことにより、紫の上、花散里に次ぐ地位を得ます。父は源氏の母桐壺更衣の従兄弟にあたる明石の入道というお坊さんです。
元々父方の祖父は大臣、母方の曽祖父は中務卿宮という上流の血筋でしたが、父は近衛中将の位を捨て播磨の受領となり、やがて剃髪・出家します。そのまま明石に定住しますが、入道は自分の娘から将来帝と后が生まれるという夢のお告げを信じて、娘に京の姫君に劣らぬ英才教育をほどこし、「もし心ざし遂げずこの宿世違はば海に入りね」と厳しく育てました。
やがて明石に流れ着いた源氏と、父の入道の手引きで逢瀬を重ね、源氏が復権して帰京したのちに女児(明石の姫君)を出産します(「明石」「澪標」)。自身が京へ上ってからも、田舎育ちで受領の娘という身分の低さであまたの源氏の愛人達にひけをとるのではと懸念し、源氏の邸(二条東院)へは入らず、父が用意した大堰の別邸に住みます(「松風」)。やがて幼い姫君は紫の上の養女として引き取られて離れ離れになります(「薄雲」)。娘の行く末を考え辛い思いで姫君を手放したのち、彼女が成人して入内するまで会うことは叶いませんでした。
六条院落成に際して冬の町の主に迎えられ、「冬の御方」とも呼ばれます。そして、源氏の妻である長年のライバル・紫の上と対面を果たします(「藤裏葉」)。その後は桐壺女御となった娘の後見に全力を尽くす一方、互いの美点を見出し合った紫の上とも、女御を挟んで程よい良好な関係を築きます。源氏の政治権力と明石の御方の見事な裁量、そして第一皇子を産んだことにより、晴れて明石の姫君は中宮に立后しました。
源氏が没した後は、明石中宮腹の皇子女たちの後見をしていたと語られる(「匂宮」)のを最後に、物語から姿を消します。
性格は生真面目で我慢強いです。万事につけて出しゃばらず賢く振舞いますが、反面出自の低さを補うためか上昇志向とプライドが高く、六条御息所と似ている、と源氏は述懐しています。皇女にも劣らない美しさと気品を備え、和歌や音楽にも洗練された趣味を持ち、特に箏の琴や琵琶の名手でした。夫が貧乏な時に苦労を分け合い、夫が成功して女遊びをしても許してしまい、夫とのセックスレスも平気。ただ、子供の出世には野望が強かったのです。
源氏が没した後は、明石中宮腹の皇子女たちの後見をしていたと語られる(「匂宮」)のを最後に、物語から姿を消します。 (人を大切にする経営学会:根本幸治)
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